瞑想で、無になるのがすごく難しい…
瞑想中に雑念が湧いてしまい、どうしても無になれない…
そんな悩みにお答えします。
筆者のケンは、
2010年ごろから瞑想・ヨガの練習を本格的に始め、
2012年からは講師として、
これまでに20,000人近い方々に、指導もしてきました。
クラスでもよく、
「瞑想中に無になるのが難しい」
という相談や質問を、生徒さんから度々受けます。
そうした経験から、今回は、
瞑想中に無になるのが難しい…
という悩みについて、詳しく解説いたします。
瞑想=無になるではない。無になれない…と諦めている人のための3つのコツ
結論から言うと、
もし仮に、無になれたとしたら、
瞑想をしているあなたも、消えて無くなっちゃう…
ということですよね?
消えたくないですよね…笑
無になろうとしているということは、
無になろうとしているあなたがいるからです。
何もないのであれば、
”無になろう”という意思や行為も、起こりません。
あなたがそこに存在しているから、
何かをしよう!と思うわけです。
じゃあ、瞑想ってなんなのか?というと、
集中する対象が、必ず何か”ある”わけです。
詳しく解説していきます。
おすすめ 瞑想を習慣にするために必要なノウハウとコツ、すべてお伝えします【瞑想の教科書】
「瞑想=無になる」ではない理由
瞑想=無になることではない理由を、瞑想の定義から見てみましょう。
パタンジャリのヨーガ・スートラ(ハタヨガの経典)には、
と書かれています。[ヨーガ・スートラ第3章の2節]
ちょっと何言ってるか、分からないですよね。
以下、ぼくの解釈です。
対象への認識作用
というのは、何かに意識を向ける行為と、
その結果、起こること。
対象への絶え間ない流れ
というのは、それをし続けていること。
つまり、
だと、言っていいでしょう。
他の瞑想に関する文献を読んでも、
だいたい同じようなことが書かれています↓
無にならなくていい、瞑想の練習方法
瞑想=無になるではないことは分かりましたが、
では一体、何をどうすればいいのか?
まずは、自分の身近にあるものに、
意識を集中させることを、おすすめします。
具体的には、次の3つ。
②「呼吸」に意識を向ける
③周りの「音」に意識を向ける
遠くのものより、
物理的に近いものに意識を向けるのがコツです。
①自分の身体に意識を向ける→ボディスキャン瞑想
無にならなくていい瞑想の練習方法の1つ目、
自分の身体に意識を向けるには、
がおすすめです。
まずは、リラックスできる姿勢で座ります。
座って瞑想するのがツラい…という方は、
こちらをどうぞ↓
そして、頭の先から足の先までゆっくりと意識を巡らせ、
感覚や温度などを、観察します。
無になろうとする必要はありません。
むしろ逆に、
きちんとそこに、身体があるということを、
丁寧に味わってみてください。
ボディスキャン瞑想のやり方は、こちらに詳しく書きました↓
②呼吸に意識を向ける→呼吸瞑想
無にならなくていい瞑想の練習方法の2つ目は、
がおすすめです。
今、自然にしている呼吸に意識を向けてみてください。
速いですか?ゆっくりですか?
気持ちいい感覚がありますか?苦しさがありますか?
呼吸は、いつもそこにあります。
無になる必要はありません。
呼吸がなくなったら、
身体の活動もストップしてしまいますもんね。
呼吸の数を数えると、
意識を集中させやすいと思います。
呼吸瞑想のやり方は、こちらを参考にしてみてください↓
③周りの音に意識を向ける→音瞑想
無にならない瞑想の練習法、おすすめの3つ目は、
心地よく座れる姿勢が作れたら、
耳を澄まして、聞こえてくる音に意識を向けます。
意識を、少しずつ自分から遠ざけていく、
よい練習になります。
また、意識を自分の外側に広げるだけでなくて、
内側に向けることもできます。
身体の中から、何か音が聞こえてきませんか?
自分の身体が、何を語っているのか、
コミュニケーションをとる、よい機会にもなります。
音に意識を向ける瞑想は、
音声ガイドを聞きながら行うと、やりやすいです↓
瞑想の先に、無があるんじゃないの?
瞑想をさらに突き詰めていったら、
もしかしたら”無になる”ことはできるんじゃないか?
そんな淡い期待はありませんか?
結論から言うと、それでもやはり、
と思っています。
なぜなら、瞑想の先に何があるのかというと、
仏教では 空
と、言われていますが、
どちらもやはり”無になる”ことではないからです。
おすすめ 瞑想を習慣にするために必要なノウハウとコツ、すべてお伝えします【瞑想の教科書】
サマーディ(三昧)
ヨーガで言われる「サマーディ(三昧)」は、
瞑想が深まった先に訪れる段階で、いわゆる「悟り」です。
ヨーガの修行の最終地点が、この境地に至ることです。
これが「無になること」ではない、
というのはどういうことか?
ヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)にはこう書かれています。
サマーディ(三昧)とは、
瞑想(ディアーナ)そのものが形を失ったかのようになり、
その対象がひとり輝くときのことである
これも、何を言ってるのかよく分かりませんが…
対象という言葉が出てきていますので、
やはり何か意識を向ける対象がある、ということ。
つまり、無になるわけではない、ということですよね。
空
仏教の言う「空」という概念は、
ということだそうです。
えっ!?
空って、空っぽっていう意味だから、
無になるってことじゃないの?
って、思っちゃいませんか?
ぼくはそう思っていました。
ですが、
たとえ空っぽだとしても、
”空っぽな空間”は存在しているということ。
入れ物があるからこそ、中身が空っぽでいられるわけです。
なのでやはり、
瞑想を突き詰めたとしても、無になることではないようです。
ぼくはこれまで、長年瞑想を続けてきて、
無になるどころか、いろいろな変化を感じてきました。
詳しくはこちらにまとめていますので、よかったら読んでみてください↓
瞑想=無になるではない。無になれない…と諦めている人のための3つのコツ まとめ
以上、
瞑想=無になるではない。無になれない…と諦めている人のための3つのコツ
というテーマで解説をしました。
瞑想=無になるではない、ということを、
動画でも詳しくお話ししました↓
筆者は一時期、無になれたら楽なのになあ…と思い、瞑想にのめり込んだことがありました。
その結果…かなりヤバい状態になってしまいました。
瞑想に依存するのは、おすすめしません。
詳しくはこちら↓
瞑想をやろうとしないことが瞑想の1番の極意ではないか?という禅問答のような話は、こちらに詳しく書きました↓
瞑想について、もっと詳しく知りたい、という方は、ぜひこちらをどうぞ↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。