一人一人の人生は、
人それぞれの解釈で作られている
というお話を、これからします。
ものごとに正解はあるのか・・?
ってことです。
正解なんて、ホントのところないよね。
完全で絶対的な、
これしかない!というような正解はない。
人それぞれの解釈で人生は作られている|ヨガ講師の人生論
筆者のケンは、
2012年からヨガの指導者として活動し、
約20,000人の方々に、
身体の使い方や、呼吸法、瞑想法などを教えてきました。
現在は、持ち物をスーツケース1つに、
物を持たない暮らしをしています。

生活の様子は、主にTwitterで発信をしています。
ここ最近、
これまでの人生を振り返る機会や、
これから先のことを思い描く時間を、
多く持つようになっています。
その中で、
頻繁にぼくの頭の中に現れるキーワードがありました。
それが、解釈
今日は、
その解釈ということについて考えてみたいと思います。
人生は解釈である
結論から言うと、
ということ。
人生も、
絶対的にいい人生
これとこれとこれに該当すれば、それは悪い人生
そんなものは、ない。
目に映るもの、関わる全てのものごとは、
人それぞれの解釈によって定義付けられ、
意味付けされているにすぎない。
たとえば、
財布の中に1,000円札が一枚入っているとする。
(ホントはもっと入ってるよ笑)
この状況に対し、
「くっそー、1,000円しかないぜ・・なんにも出来ないじゃないか・・」
って思う人もいれば、
「わあ、1,000円もあるのか!あれもこれも買えてラッキー!」
と考える人もいるかもしれない。
つまりは、
その1,000円の状況や価値をどう解釈するかは、
人それぞれなわけです。
ここに、水の半分入ったグラスがあります
という話しを聞いたことがありますか?
その状況を、
半分も入ってる!と解釈するのか
半分しか入ってない・・と捉えるのか
そのものごとが、
良いか悪いか、ポジティブかネガティブかは、
人それぞれの解釈で、いくらでも変わる。
おすすめ 瞑想を習慣にするために必要なノウハウとコツ、すべてお伝えします【瞑想の教科書】
プロレスは解釈である
またまたプロレスの話しで恐縮ですが、
(というか毎回プロレスの話しになるような気がしてきた笑)
ぼくがプロレスに惹かれ、
プロレスを通してものごとを理解している理由もこれです。
観る人それぞれが、解釈で遊べるんです
そこが、プロレスの面白くて奥深い部分。
そして、人生はプロレスだよなって思う所以。
プロレスは「闘う」ということを題材に扱っています。
闘うという設定があることで、
そこに喜怒哀楽や関係性やストーリーが生まれる。
勝敗というのは、
そのテーマ設定上の大きな要素のひとつではあるんだけど、
勝ち負けそのものには、あまり意味がない。
むしろ、
勝敗という要素は軸として機能します。
しっかりした中心軸があることで、
解釈の幅や自由度、立体度や複雑度を、
ブレることなく、安定感を持って拡げていける感じ。
しっかりとした固定された安心感があることで、
思い切った冒険やチャレンジができる。
試合に勝っても負けても、
そのシチュエーションにおいて最適な解釈をし、
どんな発言や次のアクションを取れるか。
そこにプロレスラーの力量が現れます。
同じように観客側にも、
どんな視点から、試合の展開や勝敗を解釈するのか、
ということが問われる。
観せる側と観る側の共犯関係があってこそ、
プロレスのリアリティーと胡散臭さは、
いい感じで醸成されていくんです。
プロレスと人生に関しては、
こちらにくわしく書きました↓

誰かの解釈を生きるな
人生に話しを戻します。
ぼくのこれまでの人生を振り返ると、
・男なんだからこうじゃなきゃいけない
・社会人であればこれはしておくべき
・いい年をしてそんなことするんじゃない
というような、
誰かが決めた「こうあるべき」という定義やルール、
つまり解釈に、
長い間、がんじがらめにされていたなと思います。
もちろん今もあります。
30代の、
生きてる実感を全く感じられなかった長く苦しい時代。
詳しくはこちら↓

そこから出よう!
もう自分の思うように生きよう!
って思って仕事を辞めた時も、
解放感と同じくらい恐怖感が襲ってきた。
詳しくはこちら↓

40間近なのに仕事をしていない
やりたいこともよくわからない
そんな状況が、
恥ずかしくて、かっこわるくて仕方がなかった。
無能感・無価値感がハンパなかった。
ヤバい!社会のレールからはみ出しちゃった・・
おれは価値のない人間なんだな・・
本気でそう思っていたし、
ものすごい不安と焦りを感じていた。
自分の解釈を信じろ!
そんな不安感にさいなまれながらも、
何とかしたい一心で、
オレはこれがやりたいのかな?
って思うことを、一つ一つやり続けていきました。
その時の方法はこちら↓

そして、
ちょっとずつ謎が解けてきました。
自分のものだと勘違いして生きてきてたんだな
と。
勝ち組とは何なのか?何を持ってして負け組なのか?
仕事とプライベートの境界ってどこにあるのか?
男と女ですら、解釈の抽象度をひとつ上げればどちらも人間。
男はこうあるべき。
仕事、キャリア、交友関係、年収、
などなど・・
世の中が定義した多数決的な幸せ
誰かが決めた理想的な人生
Realy?
おれはどうしたいのか?
本当はどうなりたいのか?
自分自身の中心軸がないと、
人生は迷走してしまうんだな。
すべては人それぞれの解釈次第
ものごとというのは本来は、
全てニュートラルなものであるはず。
空から降る雨は、空から降る雨でしかない。
それを、
ああ・・雨かあ・・と捉えるのも
やったー!!って大喜びして受け取るのも
人それぞれの解釈。
そのもの自体にいいか悪いかなんてなくて、
その人それぞれの解釈が生み出しているに過ぎない。
他人や、まわりの状況や、時代の流れ、
そういったものは自分ではコントロールできません。
しようとすると苦しいよ。
そうか。
ということは、
逆に自分のことなら自分で選択ができるじゃないか!
自分の解釈や、次の行動は、どうとでもできる。
自分自身で選べるんだ。
そして、その結果どんなことが起ころうが、
すべては解釈次第。
これが、これまでの経験から導きだした解釈です。
人それぞれの解釈で人生は作られている|ヨガ講師の人生論 まとめ
以上、
人それぞれの解釈で人生は作られている|ヨガ講師の人生論
というお話しでした。
人目を気にして、
誰かの人生を生きるのは、もうやめよう。

幸せな毎日を過ごすのに、瞑想はとても有効です。
瞑想の教科書を書きました↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。