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あなたにとって、
プロレスとはなんですか?
人生とはなんですか?
ぼくの思考のベースには、
常にプロレスがあります。
だいたいのものごとは、頭の中でプロレスに変換され、
その処理が上手くなされると、
腑に落ちる。
プロレスとは人生の比喩|勝敗より重要なもの
ここのところ、自分のプロフィールを書いたり、
これまでの人生を振り返るセッションをする機会が何度かあった。
その度に、
プロレスという単語が、
チラチラ思い浮かぶんです。
小学校5年生の時にプロレスを知り、
衝撃と、不思議な魅力を感じ、
それ以来、
未だに惹かれ続け、自分の中核に居続けている。
ぼくにとってプロレスとは、
スゴく大きな存在で、
大切で特別なものなんです。
プロレスの何が、ぼくを引きつけるのか?
そんなことを、改めて考えてみました。
プロレスとは人生の比喩なんです
プロレスとは人生の比喩なんです!
本当です。
まあ「プロレス」の部分を、他の何に置き換えたとしても、
そう言えちゃうとは思うんですけど・・笑
でもやっぱり、
プロレスは人生
というのが、
今のところ表現として一番しっくりくる。
プロレスとは「明確な曖昧さ」のカタマリである
プロレスの魅力のひとつとして、
というのが挙げられると思います。
プロレスとは、
とても曖昧な存在なんです。
スポーツでもないし、
ショーとも言い切れない。
格闘技に分類もできるし、
芝居や芸術にカテゴライズしようとすればできる。
言い換えれば、社会の中で確固たる立ち位置がない。
いわゆるアウトキャスト。
だけど、
プロレスが確固たる立場を持っちゃったら面白くないんです。
その曖昧さだとか危うさの中に、
自由度があったり、解釈の幅の可能性がある。
人間も、人生も、
まさにそうだと思って。
型にはまった人生なんて、
誰かが作った枠に当てはまる人生なんて、
面白くないでしょ?
この社会とは何なのか?
人生これでいいのだろうか?
常に問いかけ続けて生きている。
正解なんありません。
● 参考記事
ぼくらが自由に解釈できる余地や、未来の可能性の土壌を、
曖昧さという形で、
プロレスはしっかりと持ち続けてくれているなあって感じるんです。
ありがとうプロレス。
プロレスも人生も、勝敗はあまり重要ではない
プロレスとは闘いである
とよく言われるんですけど、
これには半分賛成で、
半分反対です。
なぜかというと、
プロレスにおいて、
試合の勝敗っていうのは、
あまり重要ではないと思っているからです。
もちろん、
プロレスには勝敗があります。
試合という形式の中で、
誰かと誰かが闘って、
そのアウトプットが勝敗ですね。
勝敗は重要ではないとはいえ、
役割はあるんです。
このタイミングでこの2人が闘うならば、
こっちが勝つ方が盛り上がるよな、
とか。
これまでのストーリーを考えると、
こいつがここで負けることで、
この後の流れが、
さらにドラマチックに広がっていくよな、とか。
勝敗を軸に未来が描けるし、いろいろ語れる。
だけど、
勝ち=いい 負け=ダメ
では決してない、ということ。
状況を総合的に判断して、
勝ち負けの意味や価値をいかに創造するかに、
レスラーの力量や個性がにじみ出る。
● 参考記事
そして観客は、
自由にそれを解釈できる。
その関係性が面白い。
● 参考記事
フィクションの中に見え隠れする、ドキュメンタリズム
プロレスとは、
創作された世界と、生の現実が、
絶妙な塩梅でブレンドされたもの、
とも言えます。
試合やアングル(試合以外でのストーリ展開)の中に、
これは演出上のことなのか?
あるいは、本当の生の感情なのか?
という、
見ちゃいけないんじゃないか?というような瞬間が、
垣間見えることがあるんです。
その揺れ動く理性や感情を、
どうコントロールして、配合して、アレンジして、
最終的に自分の作品として提示できるかに、
レスラーの力量が問われます。
正しさも間違いもない。
プロレスとは、
虚と実の境界線を楽しむ、
自由度の高い世界なのです。
● 参考記事
「誰が一番強いのか論争」とは?
プロレスとは、
勝敗や強さは関係のないものだ、
とか言いながら、
プロレスラーの中で誰が一番強いのか?
という妄想で遊べてしまうのが、
プロレスのまたスゴいところです。
ちなみに余談ですが、ぼくの中の最強のプロレスラーは、
ジャンボ鶴田
です。
ぼくは根っからの新日系なので、
注:プロレスには、新日本プロレスと全日本プロレスの、
どちらを支持するのか?という、大きなテーマがあります
この結論は自分でも意外なのですが・・。
なので、
好きなプロレスラーということではありません。
あ、鶴田好きですけどね。
ぼくの中にある、強さとは?の中に、
強そうに見えない
というのがあるんです。
そういうのも含めて、
鶴田最強だなあって思うんです。
ご興味があれば、
鶴田 バックドロップ
とYouTubeで検索してみてください。
彼のバックドロップは、
理屈では語れない美しさがあるんです。
と同時に、
精密な機能性も合わせ持っている。
鶴田論はまたいずれゆっくりと・・笑
プロレスとはスポーツなのか?ショーなのか?
プロレスとはスポーツか?ショーなのか?
この問いに関して、
いまならぼくはこう言います。
スポーツかショーかという既存の枠を包括するようなレイヤー
あるいは抽象階層に位置している
のだと。
プロレスって、
スポーツやショー、武術や芸術、哲学や科学など、
一見対極にあるような、
さまざまな分野に属すことができるなあと、
常々感じていました。
だからこそ、
中途半端な、あいまいなジャンルだと言われ続けていたし、
そこに負い目も感じていた。
なんでこんなもの好きになっちゃったんだ・・と苦笑
● 参考記事
でもこれ、
視点を変えたらすごく腑に落ちたんです。
プロレスとは、
それらの領域を全部を包み込むような、
大きな存在だったんだと。
全てはつながり、ひとつである、
というヨガや仏教の思想と同じではないですか・・!
● 参考記事
人生とは何か?
という視点で見てみましょう。
この世界には、さまざまな人間がいます。
強い人、弱い人、優しい人、
怒りっぽい人、真面目、よくしゃべる、寡黙、など。
職業や社会的立場などもいろいろです。
サラリーマン、軍人、柔道家、
警察官、教師、金持ち、職人、などなど。
人間とはこうでなければならない
男とはこうあらねばならない
大人とはこうあるべき
それってホント?
ひとつ抽象度を上げると、
上記の特徴や違いは、
すべて「人間」であり「それぞれの人生」です。
● 参考記事
やはり、プロレスとは人生の比喩である
そしてやはり、
プロレスとは人生の比喩そのものだと思うのです。
人はみな、
この世に生まれ落ちた時に、
環境や役割、関係性や身体性が与えられる。
家族、兄弟、性別、生まれた場所、環境
それらは選べない。
そうした前提条件の中で、
自分の足で立ち、
自分の行きたい方向を見つけ、
歩き、走り、時に転び、
自己実現をしていくのが人生だ。
与えられた条件をどう受け止めるのか?
どう解釈するのか?
それをどう駆使し、
自分らしい世界をどう描いていくのか?
プロレスも人生も、
同じだと思いませんか?
ぼくのこの解釈に、迷いはありません。
以上、
プロレスとは人生の比喩|勝敗より重要なもの
というお話でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
● 「プロレスが好き!」とはっきり言ってもいいんです