人はなぜ悩むのか?ブッダは「関係を持つ」から悩みが起こると言った

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ブッダ
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この記事を書いた人

瞑想・ヨガ講師|E-RYT500 YACEP|指導歴10年15,000人以上|YogaJaya Baseworks講師|身体とメンタルの調整法・執着の手放し方・食生活・人間関係など、人生で本当に必要なことを発信|スーツケース1つで生活してます|修行中

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人はなぜ悩むのか?

おそらく誰もが、常にそればかり考えていると思います。

お昼何食べようとか、どうやったらモテるだろうとか、そんなこと考える暇もなく。

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人はなぜ悩むのか?ブッダは「関係と接触」から悩みは起こると言った

みなさんは悩みがあるでしょうか?

筆者は悩みだらけです。

悩みが服を着て歩いていると言っても過言ではないかもしれません。

そして、その悩みを何とかしたいなあ、なるべく悩まずに楽しく生きていけたらいいなあと思い、ヨガというものを学んだり実践したりしています。

何かものごとを解決するには、それが一体何なのかを知ることって、けっこう大事だと思うんですよね。

そこで今回は、悩みというのは一体どこから起こるのか? 人はなぜ悩むのか? 悩みから解放されるにはどうしたらいいのか?といったことについて考えてみたいと思います。

悩みはどこからやって来る?

人はなぜ悩むのか?

結論から言うと、あらゆる悩みはすべて関係から起こると言えるかと思います。

ブッダが、そういったことを言ってるんですよね。

ブッダというのは、漢字で書くと仏陀、あるいは釈迦とか釈尊とかとも呼ばれているあのブッダです。

ブッダの呼び名の違いについては、こちらに詳しく書きました↓

ブッダがどういうことを言ってたかっていうと、いろいろなものごとと関係を持つから、悩みや迷いが生まれるんだよ、と。

まあ筆者が直接聞いたわけじゃないので、まあそんなことを言っていたよといろいろな文献に書かれていたり、記録が残されているということです。

男と女

例えばブッダの語った言葉として、スッタニパータという文献にこのような記述があります。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

男と女が関係を持ったら情が湧くよね。

情が湧くから、後々いろいろ苦しくなるんだよ。

そもそも異性と出会ったら、自然と関係を持ちたくなっちゃうでしょ。

だからもういっそのこと人と会うな。喋るな。一人で生きていけ。

ブッダはそこまで言ってるんですよね。

そうまでして、あらゆる関係を避けるべきだと。

ブッダはこうも言っています。

眼で視ることを貪ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

あるいは、われわれ人間は感覚器官というのを持っていますよね。

目や耳、口、あとは手足の皮膚の触覚とか。

そこから入った刺激が脳に伝わり、その結果いろんな感情を湧き起こさせ、それが悩みを生じさせる。

だから、感覚器官からなるべく多くのものを入れないようにしなさい、というようなことかなと思います。

快楽に悩む

おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる。ーこれは破滅への門である。

人を悩ませるものは、なにも痛みや恐怖を伴うものだけとは限りません。

快楽だって悩みの素になり得ますよね。

性行為なんていうのは、快楽の最たるものではないでしょうか。

だからブッダは、性行為も無闇にするもんじゃないよみたいなことも言っています。

あとは食欲もそうですよね。

あれ食べたいとか、もっと食べたいとか、貪るなと。

ちなみに上でご紹介した言葉は、ブッダの言葉を記した数ある文献の中で最古のものとされる「スッタニパータ」から引用しました。詳しくはこちら↓

といったように、ブッダの考え方というのは相当に厳しいものだったようなのです。

だけど…

しんどいのイヤじゃないですか。
気持ちいいことしたいじゃないですか。

というわけで、ブッダの教えは素晴らしいよね、だけどちょっとストイックすぎるよね…

みたいな感じで、もっと多くの人が実践しやすいように「まあこのくらいは許容してもいいよね」みたいなことがだんだん起こってきた。

それがいわゆる大乗仏教というもので、それが中国に伝わり、中国から日本に伝わった。

今の日本の仏教というのは、そういった変遷を遂げているようです。

ちなみに、ブッダの考えにより近いものは初期仏教や部派仏教、上座部仏教などと呼ばれています。

すべての関係を断つことは可能か?

さあ、関係を断てば悩みがなくなるらしいということは分かりました。

では断てるか?というと…なかなか難しいわけですよね。

断てるならもう断っとるわい!

ブッダがいた頃というのは、今から2500年ぐらい前と言われています。

今と比べたら、モノとか情報なんてほんのわずかだったと思うんですよね。

そんな頃でさえ、人やモノとの交わりを持たないというのは、かなり難しいことだったわけです。

であれば、モノや情報で埋め尽くされている今のこの社会で、どんなものとも一切の関係を持たずに生きていくというのは、ほぼ不可能だとも思われます。

ただ、完全にあらゆる関係を持たないことは難しいかもしれないですが、少しずつ、あるいは部分的に減らしていくことだったら、なんとかできそうだと思いませんか?

例えば、なるべくマスメディアの情報は目にしない、とか。

ちなみに、テレビは本当のことを伝えてくれていないので、一切見ない方がいいと筆者は考えています。

詳しくはこちらに書きました↓

あるいは、自分が今いるコミュニティーについて「本当に自分はここにいたいのか?」「ここでないと本当に生きていけないのか?」などと自分に問いかけて、見直すことはできると思うんですよね。

けっこう惰性で続けていることって多くないですか?

自分が今いるコミュニティーというのは、会社だったり家族だったりどこに住んでいるかというようなことです。

そこから出るというのは、やはりなかなか大変なことですもんね。

だから本当はここにいたくないけど、出ようとするとちょっと面倒くさいからこのままでいいか…みたいなことないですか?

ちょっと我慢すればいいだけだからって。

かつての筆者はそうでした。

筆者が、20年続けた会社員人生を終わりにした時の話は、こちらに書きました↓

ひとりって恥ずかしいことなの?

先にも紹介したように、ブッダは「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」と言っています。

サイというのは頭の真ん中に、太いツノが一本だけズドンと生えていますよね。

一人で細々と隠れるように生きるのではなく、堂々と自分の信じた道をまっすぐ歩いていけばいいというような意味で、犀の角と言ったんだと思います。

詳しくはこちらに書きました↓

今の世の中って、一人でいることや仲間外れになっちゃったみたいなことが、あまりよくないこと、恥ずかしいことという風潮がありますよね。

おひとりさまとか、ぼっちとか。

そんな作られた価値観にだまされなくていいですよ。

だって一人で生きていけるっていうことは、それだけ自分に自信を持っているということだし、生きる強さがあるということですよね。

だから我慢して、周りと同じように生きていく必要なんてないですよ。

逆に一人で生きていくことで、さまざまな悩みから解放されるとも思います。

友達少ないとか周りと話が合わないからって全然卑下することではなく、むしろ素晴らしいことだし、自信を持っていいと筆者は強く思っています。

ブッダもそう言っています。詳しくはこちら↓

人はなぜ悩むのか?ブッダは「関係を持つ」から悩みが起こると言った まとめ

以上、人はなぜ悩むのか?ブッダは「関係を持つ」から悩みが起こると言ったというテーマでお伝えしました。

この記事の内容は動画でもお話ししていますので、ぜひご覧ください↓

所有するから悩むんだともブッダは言っています。詳しくはこちら↓

筆者は、所有物をスーツケース1つにしました。

持ち物を手放そうと思った経緯と方法は、こちらに詳しく書きました↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。