自分探しして、全然自分が見つからない…
自分探しのやり方が知りたい…
そんな悩みにお答えしましょう。
筆者は今でこそ、自分の生きたいように生きられている実感があります。
ですがかつては長いこと、自分探しの迷宮に迷い込み、自分が見つからないことに焦ってばかりいました。
そこで今回は、自分探ししても自分が見つからない理由が10年かけてやっと分かったと題して、筆者の体験を詳しくご紹介できればと思います。
自分探しをしても自分が見つからない理由が、10年経ってやっと分かった
誰もが一度は、自分探しだったり、自分の人生って何だろう?みたいなことを考えたことがあるんじゃないかと思います。
だけど、自分探しをして見つかった!という人、いますか?
たぶん、いないと思うんですよね。
それはなぜか?
結論から言ってしまうと、自分なんてないからです。
ないものを見つけようと思っても、見つからないのは当然です。
10年間、自分探しの迷宮を彷徨い続けた末に、筆者はそういった結論にいたりました。
私たちの感情は脳が即興的に生み出しているに過ぎず「心」という確固たるものは存在しない
つまり「自分を見つける」ことはできない。見つけるべき自己など存在しないから
「自分探し」の呪縛を解く!「本当の私」が見つからない理由を最新心理学で説明する
と、認知科学者のニック・チェイター教授も述べています。
自分を探し続けた10年間
筆者が自分探しの沼で、自分が見つからないループにはまり込んでしまったのは、30代のころ。
体調不良をきっかけに、何のために生きてるのか?とか、人生って何なんだ!?とか、そんなことをずっと考えるようになってしまったんです。
かなりこじらせました。苦笑
深い深い迷路に入ってしまい、その時はかなり大変だったんですけど、その結果今に至ってるので、それはそれでよかったなと、今では貴重な体験だったと思っています。
約10年くらい、自分探しに明け暮れた結果「自分なんてないんだよな」という、とてもシンプルなことに気づき、すごく楽になりました。
もともとないんだから、見つからないのは当たり前ですよね。
ちなみに、10年続いたもやもやから抜けた時のことは、こちらに詳しく書きました↓
自分とは一体どこにあるのか?
自分探しをしても自分が見つからないのは、自分なんてないからだと言いましたが、ではなぜそう言えるのか?
それは、そもそも自分をどう定義するか、を考えると分かりやすいかと思います。
たとえば、自分は一体どこにあるのか?と問われた時、あなたはどこと答えるでしょうか?
多くの人が「皮膚の内側」に自分がある、とイメージしませんか?
かつての筆者はそうでしたし、今でもついついそう感じてしまうこともあります。
逆にいうと「皮膚の外側」は、自分以外の外の世界というような感覚ですね。
だけど、その「自分の内側と外側」っていう線引きって、本当なのかな?とも筆者は思うのです。
もちろん、ひとつの物の見方として「物質的な私」というのはありだと思います。
だけど、人間って物質的な存在でしかないんでしょうか?
例えばパートナーがいるとしたら、パートナーも含めて自分ということも言えますよね?
自分の取った行動は、何かしらパートナーの感情や健康状態に影響するはずです。
逆の例えの方が分かりやすいかもしれません。
パートナーに言われた一言で、やる気が出たり、逆に何も手につかなくなっちゃったりしますよね。
自分と他者に境界線なんて引けない
あるいは子供はまさに、自分の延長線上、あるいは自分が拡大した存在などとも言えるかと思います。
そして、自分という存在がどうやって命を授かったかというと、両親がいて、その両親にも両親がいて、さらにその両親にも…
というように、自分と他者をどこで線引きするかなんていうことに正解なんてないし、逆に引こうと思えばどこにでも引けると思うのです。
であれば、皮膚の内側だけが自分だと限定してしまうことは、とても不自然だし、ごく限られたものの見方でしかないように感じるわけです。
同じように、自分はこうあらねばならないとか本当の自分を見つけなければいけないみたいな思い込みも、本来あるはずのない正解探しをしているように思います。
ないものを必死に探しているとしたら、そりゃあ苦しくて当然ですよ。
さらに言うと、筆者が自分探しにはまりこんでいた時、「これ、たぶん自分なんて見つからないんだろうな…」とうすうす分かっていたんですよね。
ないものを探しているという感覚が、実はなんとなくありました。
でも探さないと不安で仕方ないから、不毛な自分探しを延々と続けていたのだと思います。
自分探しでは、決して自分が見つからない理由
ここまで、自分探しをしても自分が見つからないのは当然というお話をしてきました。
ではなぜ、自分探しをして、本当の自分を見つけるべきだ、みたいなことを多くの人が考えて(少なくとも筆者は長年そう思っていた)しまうのでしょうか?
それは、誰かから「自分探しをして、自分を見つけなければならない」と思わされてきたように思うんです。
それは何も、ここ最近のことではないように感じます。
実は数100年くらい前から、あるいはもしかしたら2000年前からすでに、始まっていたのかもしれません。
自分の定義
ぼくらが「自分って何?」と想像する際、おそらく物質的なこの肉体を想像するよね、というお話を先ほどしましたが、本来そんなことはないと思うんです。
例えば日本には、八百万の神といった考え方がありました。
目に見える物質的なものも、もちろんあるけど、そうじゃない存在も同じようにある。
あるいは、天と会話をするとか、空が泣いているとか、森が眠っているとか、そういった姿形の見えない生命の存在が、あたりまえのようにあったと思うんですよね。
だけど、その当たり前の一部分がなぜか意図的に消されてしまって、物質だけがこの世を構成しているというような考え方が、常識になってしまってはいないでしょうか?
そして、それは自然の成り行きでそうなったのではなくて、作為的にそういった世の中が作られたように感じるんです。
ぼくらはこれまで、一体何を信じ込まされてきたんでしょうか?
そして今、一体何を見せられているんでしょうか?
正解なんてないし、自分なんてない
自分探しをしても自分が見つからない理由も、このことがとても大きく関係していると思います。
例えば「男だったら泣くんじゃない」とか、「女性は〇〇歳までに結婚して子供を産まないと」とか。
それって、本当にそうじゃなきゃいけないんでしょうか?
どこにそんな決まりがあるの?
そうした世の中の「〇〇だったら〇〇でなければ」なんてものは、結局は誰かが決めた価値観に過ぎません。
生き方や自分のあり方に、政界も間違いもありません。
そんなふうに考えると、人生って本当に無限の可能性があるし、ものすごく楽になると思いませんか?
実際に筆者は、とても楽になりました。
そして「自分探しをしたって、自分なんて見つからないのが当然なのだから、自分は自分で決めればいい」と思えたことで、大きく人生が動き始めたのです。
言葉にすると、よく分からない話になってしまうような気がしましたが、この経験が、誰かの何かしらの役に立てばうれしいなと思い、この記事を書きました。
ちなみに、みんなと同じ時間に同じ電車に乗って、同じ服を着て…というような毎日に違和感を感じている方は、ぜひこちらもお読みください↓
自分探しをしても自分が見つからない理由が、10年経ってやっと分かった まとめ
以上、自分探しをしても自分が見つからない理由が、10年経ってやっと分かったというテーマでお伝えしました。
自分探しばかりしていて、遊ぶ暇さえなかった…という方は、こちらもぜひお読みください↓
自分探しをした結果、自分が何をしたいのかがますます分からなくなった…という方は、こちらをどうぞ↓
自分探しをしても自分が見つからない理由は、こちらの動画でもお話ししました↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。