みなさんは、学校の勉強に興味が持てていたでしょうか?
筆者は、興味を持とうと一生懸命頑張っていたのですが、ぜんぜん持てなくてどうしよう…という感じでした。
そしてここ最近、学校の勉強に興味が持てなかった理由が分かったので、詳しく説明してみたいと思います。
学校の勉強に興味が持てなかった理由が分かった
筆者が学校の勉強になぜ興味が持てなかったかというと、結論から言うと、
学校で教えられていることは嘘だった
からということです。
嘘と言ってしまうとちょっと言いすぎというか、これまでお世話になった先生方にも大変申し訳なく思いますので、本当の本当のところは隠されてるというふうに言った方がいいかも知れません。
先生方が嘘をついているとか、何かを隠していたというわけではなくて、学校という制度や仕組み自体が、そもそもそういうものだったんじゃないかということです。
少なくとも、明治以降に作られた学校制度は。
そう考えると、いろいろと辻褄が合ったりするのです。
歴史は書き換えられる
繰り返しになりますが、筆者は学校の勉強にぜんぜん興味が持てませんでした。
ただし、自分で言うのもなんなのですが、「これをやりたいな」と思うことには、自分でいろいろ調べたり試したりして、それを達成するような能力はそこそこ持っていると思っています。
一方で、自分が興味のないことには、まったくやる気が起こらなかったりもします。
そして今、学校では本当のことは教えてくれてなかったんだから、ほんとじゃないことに興味を持てなかったのは、ある意味当然だったんだな、と感じています。
いやいや、学校が嘘を教えるはずなんかないじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、墨塗り教科書というのを聞いたことがありませんか?
第二次世界大戦後、GHQが日本に7年ぐらいいたそうなのですが、敗戦処理と称して小学校などで使われていた教科書の一部を、墨で黒く塗りつぶしていたそうです。
学校の教科書だけでなく、学術書や文芸書、論文にいたるまで、焚書(ふんしょ)といって、GHQやさらにその上の権力にとって都合が悪いことが書かれている書物を残らずかき集めて、燃やしてしまったとも聞きます。
そんな感じで、歴史や文化というのは、いくらでも消したり書き換えたりできちゃうわけです。
GHQ側の言い分としては、
「日本は戦争に負けたでしょ。なぜ負けたかというと、それまでの教育だとか考え方が間違っていたからだ。一方、我々勝ったアメリカは優れた教育のおかげで戦争に勝てたんだ。だから、かわいそうな日本を我々が正しく導いてあげるよ」
というのが表向きの理由だったと聞きます。
だけどこれって、これまでの日本にあった文化だとか歴史っていうのを黒く塗りつぶして、今後支配やコントロールをしやすいように、日本の常識を書き換えたともいえますよね。
そもそも日本には、第二次世界大戦に参加する意志はなかったんだとも伝え聞きます。
だけどどうしても戦争せざるを得ない状況に、持っていかされてしまったんだと。
そもそも戦争なんていうものは、国と国が自国を守るために戦っているのではありません。
古代や中世は、そうだったのかもしれませんが、現代の戦争は単なるビジネスです。
戦争すると儲かる人たちがいるわけです。
そういった策略に日本がまあまんまと引きずり込まれちゃったっていうのが、第二次世界大戦をはじめとする、近代の戦争の実態なのではないかと、いろんなところで言われています。
戦争の動機はともかく、負けた側は何も言えないんですよね。
勝った側が、戦争に至った経緯やその後の歴史を、自分達の都合のいいように正当化できちゃうんです。
その歴史の書き換えに使われたのが、学校で勉強するというシステムであったり、勉強の中身だったり、そこで使われる教科書だったりするというわけです。
墨塗教科書とマスク

学校の勉強に興味が持てなかった理由が、なんとなく分かってきた時に、ふと思い立って、墨塗りの教科書について、経験者に聞いてみたことがあります。
筆者の父と母です。
父と母は、ちょうど小学校に入ったくらいだったそうです。
「墨塗りの教科書って本当にあったの?」と聞いたら「あった」と言っていました。
実際に自分で墨を入れたような記憶もあるし、すでに黒く塗りつぶされたものをもらったとも言っていました。
それについてどう思ったのかを尋ねたら「それがどういうことを意味してるのか、よく分からなかったし、考えたこともなかった」と言っていました。
それはそうですよね。
だって6歳とか7歳くらいの子供ですよ。
教科書に墨を入れるとか、塗りつぶされていることの意味なんて、きっと疑問にも思わない、思えない。
たとえば、ここ数年で生まれた子供たちは、人間というのは生まれながらにマスクをしているものだ、あるいは大人になったらマスクをしなきゃいけないんだ、なんて当たり前のように思っちゃってるんじゃないでしょうか?
訳もわからずに、それまで当たり前に思っていた考え方や歴史がどこかに追いやられて、そのうち忘れられ、だれにも語り継がれることもなく消えていく。
そして、勝った側の都合によって書き換えられたことだけが、あたかもそれが事実だったかのように、人々の記憶や記録として残っていくわけです。
ぼくらが学校で勉強してきた歴史や出来事が、本当のことなのかどうなのか、どうやって証明できますか?
人間の脳は、一度こうだと思ってしまったことを、ひっくり返すことはなかなか難しいと言われています。
だからこそ、コントロールしたい側としては、まだ真っさらな子供の頃から刷り込みをするというのが、常套手段なんだと思います。
本当のことが知りたいだけ
筆者は、このブログやYouTubeの動画などを通して、これまでの常識を疑うべきだという発信を続けていますが、その理由はただ本当のことを知りたいだけなんです。
だって、嘘つかれてるのイヤじゃないですか?
本当のことがどういうことであってもいいので(何でもいいわけではないけど)、本当のことを言ってくれてないっていうのが、イヤなんです。
気持ち悪いんです。
かと言って、筆者が清廉潔白で、やましいことなんてひとつもなくて、一度も嘘ついたことなくて、自分のことをすべてさらけ出して、、、かというと、もちろんそんなことはないですよ。
自分にとって都合の悪いことは言わなかったり、そういったことはそりゃあります。
だけど、多くの人たちが不利益を被ったり、命にかかわることに関して、国家レベルで堂々と嘘がつかれているとしたら、それはなんかおかしいよねと思うんです。
子供の頃を振り返ってみて、どうしてあれほど学校の勉強に興味が持てなかったかというと、子供ながらになんか変だな?なんか違うんじゃないかな?というのを、薄々感じていたんだと思うんです。
その頃は、うまく言葉にならなかったり、学校の先生が嘘をつくはずがないという思いから、きっとそう思う自分の方がおかしいんだろうと、言い聞かせていたような気もします。
子供の頃の、なんかもやもやした感じは、それが理由だったんじゃないかと。
だけど今思うと、自分の直感や本能はすでに違和感を感じていたのかと思うと、あの頃の自分の感覚を褒めてあげたいなとも思います。
今、同じような思いをしている人、政府が言ってることが変だよなぁ、なんか腑に落ちないなって感じている方、あなたの感性はとても正しいと思いますので、ぜひ自分の直感や本能を信じてあげてください。
学校の勉強が仮に嘘だとして、じゃあどうやって勉強すればいいの?と思うかもしれませんが、結局は、自分が納得いくまで調べたり、仮説を立てたり、考察を続ければいいと思うんですよね。
だって、ものごとに正解なんてないんだから。
エビデンスがどうとか言われていますけど、理屈なんかじゃなくて「あぁ、なんかそうだよな。しっくりくるよな」といった感覚こそ、信じるべきだと筆者は思っています。
ちなみに「エビデンス、エビデンス」とうるさい世の中に感じる違和感について、こちらに詳しく書きました↓
人間は、本能的に鋭い感覚を誰しもが持っています。
そして、学校の勉強に興味が持てないという感覚も、その鋭い直感によるものだと感じます。
そういった動物的な感覚を大切にして、一つの生き物として生きていきたいなと、筆者は改めて感じました。
学校の勉強に興味が持てなかった理由が分かった まとめ
以上、学校の勉強に興味が持てなかった理由が分かったというテーマでいろいろと考察をしてみました。
この記事の内容は、動画でもお話ししています。ぜひご覧ください↓
学校の勉強には、画一化という目的もあるように感じています。
それに窮屈感を感じる方は、こちらの記事もぜひお読みください↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。