自分探しをしても見つからない理由が10年かけてようやく分かった

スポンサーリンク
自己実現
スポンサーリンク
この記事を書いた人

瞑想・ヨガ講師|E-RYT500 YACEP|指導歴10年15,000人以上|YogaJaya Baseworks講師|身体とメンタルの調整法・執着の手放し方・食生活・人間関係など、人生で本当に必要なことを発信|スーツケース1つで生活してます|修行中

キラーケンをフォローする

自分探しをしても見つからない…

そんな悩みにお答えしましょう。

スポンサーリンク

自分探しをしても見つからない理由が10年かけてようやく分かった

誰もが一度は、自分探しだったり、自分の人生って何だろう?みたいなことを考えたことがあるんじゃないかと思います。

だけど、自分探しをして見つかった!という人、いますか?

たぶん、いないと思うんですよね。

それはなぜか?

結論から言ってしまうと、自分なんてないからです。

ないものを探しても、見つからないのは当然ですよね。

と筆者は、10年間自分探しの迷宮を彷徨い続けた末に、そういう結論にいたったのです。

自分を探し続けた10年間

筆者が自分探しの沼にはまり込んでしまったのは、30代のころ。

体調不良をきっかけに、何のために生きてるのか?とか、人生って何なんだ!?とか、そんなことをずっと考えるようになってしまったんです。

かなりこじらせました。苦笑

深い深い迷路に入ってしまい、その時はかなり大変だったんですけど、その結果今に至ってるので、それはそれでよかったなと、今では貴重な体験だったと思っています。

約10年くらい、自分探しに明け暮れた結果「自分なんてないんだよな」という、とてもシンプルなことに気づき、すごく楽になりました。

そりゃ、見つかりっこないですよね。

ないんだから!

ちなみに、10年続いたもやもやから抜けた時のことは、こちらに詳しく書きました↓

自分とは一体どこにあるのか?

自分探しをしても見つからないのは、自分なんてないからだと言いましたが、ではなぜそう言えるのか?

それは、そもそも自分をどう定義するか、ということを考えると分かりやすいかと思います。

たとえば、自分は一体どこにあるのか?と問われた時、あなたはどこと答えるでしょうか?

多くの人が「皮膚の内側」に自分がある、とイメージしませんか?

かつての筆者はそうでしたし、今でもついついそんなふうに感じてしまうこともあります。

逆にいうと「皮膚の外側」は、自分以外の外の世界というような感覚ですね。

だけど、その「自分の内側と外側」っていう線引きって、本当なのかな?とも筆者は思うのです。

もちろん、ひとつの物の見方として「物質的な私」というのはありだと思います。

だけど、人間って物質的な存在でしかないんでしょうか?

例えばパートナーがいるとしたら、パートナーも含めて自分ということも言えないですかね?

自分の取った行動って、何かしらパートナーの感情状態や健康状態に影響しますよね。

逆の方が分かりやすいですかね。

パートナーに言われた一言で、やる気が出たり、逆に何も手につかなくなっちゃったり…

あるいは子供なんていうのはまさに、自分の延長線上というか、自分が拡大した存在などとも言えそうですよね。

そして、自分という存在がどうやって命を授かったかというと、両親がいて、その両親にも両親がいて、さらにその両親にも…

というように、自分と他者をどこで線引きするかなんていうことに正解なんてないし、逆に引こうと思えばどこにでも引けると思うのです。

となれば、皮膚の内側だけが自分などと限定しちゃうことは、とても不自然だし、ごく限られたものの見方でしかないように感じるわけです。

そして同じように、自分はこうあらねばならないとか、本当の自分にならなきゃいけないみたいな思い込みも、本来あるはずのない正解探しをしているように思うのです。

ないものを必死に探しているとしたら、そりゃあ苦しくて当然ですよ。

あと、筆者が自分探しにはまりこんでいた時は「これ、たぶん見つからないんだろうな」となんとなく分かってたんですよね。

ないものを探しているという感覚が、なんとなくあった。

でも探さないと不安で仕方ないから、その不毛さにも徒労感や絶望感のようなものを感じていたように思います。

ぼくらは何を見せられているのか?

ではなぜ、自分探しをして、本当の自分を見つけるべきだ、みたいなことを多くの人が思っている(少なくとも筆者は長年そう思っていた)かというと、それは、そう思わされてきたんだと思うんです。

それは何も、ここ最近のことなんかではないように感じます。

実は数100年くらい前から、あるいはもしかしたら2000年前からすでに、始まっていたのかもしれません。

ぼくらが、人間って何?って想像する時に、おそらく物質的なこの肉体を想像するよね、というお話はさきほどしましたが、本来そんなことないと思うんですよ。

例えば日本には、八百万の神といった考え方がありました。

目に見える物質的なものも、もちろんあるけど、そうじゃない存在も同じようにある。

あるいは、天と会話をするとか、空が泣いているとか、森が眠っているとか、そういった姿形の見えない生命の存在が、あたりまえのようにあったと思うんですよね。

だけど、その当たり前の一部分がなぜか意図的に消されてしまって、物質だけがこの世を構成しているというような考え方が、常識になってしまってはいないでしょうか?

そして、それは自然の成り行きでそうなったのではなくて、作為的にそういった世の中が作られたように感じるんです。

ぼくらはこれまで、一体何を信じ込まされてきたんでしょうか?

そして今、一体何を見せられているんでしょうか?

正解なんてないし、自分なんてない

自分探しをしても見つからない理由も、このことがとても大きく関係していると思います。

つまり、自分はこうならなきゃいけないと、何かに思わされてしまっているんじゃないでしょうか?

例えば「男だったら泣くんじゃない」とか、「女性は〇〇歳までに結婚して子供を産まないと」とか。

それって、本当にそうじゃなきゃいけないんですか?

どこにそんな決まりがあるの?

そうした世の中の「〇〇だったら〇〇でなければ」なんてものは、結局は誰かが決めた価値観に過ぎないと思うんです。

全てのものごとは、あらゆる解釈ができます。

自分が、何をどう解釈するかはひとそれぞれ。

間違いもないし、正解もありません。

そんなふうに考えると、人生って本当に無限の可能性があるし、ものすごく楽になると思いませんか?

実際に筆者は、とても楽にりました。

そして「自分なんて探したところで見つかりっこないんだから、自分で決めればいい」と思えたことで、大きく人生が動き始めたのです。

言葉にすると、よく分からない話になってしまうような気がしましたが、この経験が、誰かの何かしらの役に立てばうれしいなと思い、この記事を書きました。

自分探しをしても見つからない理由が10年かけてようやく分かった まとめ

以上、自分探しをしても見つからない理由が10年かけてようやく分かったというテーマでお伝えしました。

この記事の内容は動画でもお話ししましたので、ぜひご覧ください↓

自分が本当は何がしたいのかよく分からない…という方は、こちらの記事が参考になれば↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。