ルーミーの「ゲストハウス」という詩を時々思い出して勇気をもらうのです

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考え方
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この記事を書いた人

瞑想・ヨガ講師|会社員時代にうつ経験(30歳〜約10年間)|その後ヨガ・呼吸・瞑想指導歴10年15,000人以上(E-RYT500 YACEP)|YogaJaya Baseworks講師|身体とメンタルの調整法・執着の手放し方・食生活・人間関係など、人生で本当に必要なことを発信|スーツケース1つで生活してます|修行中

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ルーミー(Rumi)という詩人のゲストハウス(The Guest House)という詩をご存知でしょうか?

筆者は所有物をスーツケース1つにしまして、定住しない暮らしをただいま実験中で、旅先ではよくゲストハウスに泊まります。

その度にこの詩を思い出し、毎回いろいろな発見があるので、今日はその詩について書いてみたいと思います。

ちなみに、持ち物をスーツケース1つにした経緯と方法は、こちらに詳しく書きました↓

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ルーミーの「ゲストハウス」という詩を時々思い出して勇気をもらうのです

早速、ルーミーの「ゲストハウス」という詩をご紹介します。

さまざまな訳があるようですが、英語版の詩をもとに、他の方の日本語訳も参考にさせてもらい、筆者なりの表現にしたものがこちらです↓

人間であることは、旅人が集まるゲストハウスのようなもの
毎朝、新しい訪問者がやってくる

束の間の喜び、絶望、卑劣さ
そんな旅人すべてを歓迎し、もてなそう

たとえそれが悲しみの集団で、荒々しく家中の家具を持ち去って空っぽにしてしまったとしても
それでも、どのお客にも敬意を持って接しよう

それは新たな喜びを迎え入れるために、あなたを空っぽにしてくれているのかもしれない

暗い気持ち、恥ずかしさ、悪意も
玄関で笑いながら出迎えて招き入れよう

訪れるものすべてに感謝しよう

どれもがはるか彼方から、あなたの人生の案内人として送られたものなのだから

こちらが、ペルシャ語の原文の英訳バージョン↓

This being human is a guest house.
Every morning a new arrival.

A joy, a depression, a meanness,
some momentary awareness comes
as an unexpected visitor.

Welcome and entertain them all!
Even if they’re a crowd of sorrows,
who violently sweep your house
empty of its furniture,
still, treat each guest honorably.
He may be clearing you out
for some new delight.

The dark thought, the shame, the malice,
meet them at the door laughing,
and invite them in.

Be grateful for whoever comes,
because each has been sent
as a guide from beyond.

人生はゲストハウスのようなもの

筆者がこの詩を知ったのは、ちょうどヨガの修行を始めて間もない頃。

ステフ・デイヴィスというアメリカ人女性ロッククライマーのワークショップに参加する機会があって、その中で彼女がこの詩を引用していました。

当時の筆者は、まあヨガの修行を始めようと思ったくらいですから、かなり人生に迷いや絶望を感じていたのです。

いろいろ動き出せるくらいにはなっていたので、どん底は抜けていたかもしれませんが、まだまだ絶望感の余韻は残っていて、そういう状況の時に、この詩を知りました。

この詩を聞いて、

ああ、絶望だとか幸せだとか、ネガティブなこともポジティブなものも、ずっとここにあり続けるわけではないんだな

ゲストハウスにやってくる旅人のように、何かが訪れていずれ去っていく

人生なんてその繰り返しなんだな

なんて思えたら、すごく気が晴れたというか、ものすごく楽になったんですよね。

そもそも人間というものは、この物理的な世界で、この物質的な肉体に、たまたま数十年やってきて、そしてまた去っていくというふうにも考えられると思うんですよね。

そういった一時的な、刹那的なものにいちいち悩んでいたり苦しんでいても、仕方がないしもったいない。

勝手にやってきて、そのうち去っていっちゃうものなんだから。

生きることと、旅すること

旅に出ると、それを実感するんです。

ああ自分もまた、この新しい宿にやってきて、何日か後には去っていく。

たまに、その宿に何年も住み着いちゃってる人もいたりするんですよね。

あるいは、今日が初めての人もいる。

一泊だけして、2度と戻ってこない人もいることでしょう。

宿を経営している人もいるわけですよね。

その人は、毎日やってきては去っていく旅人たちの出入りを、どんな想いで見つめているのだろうか?

そういったことを、旅に出ると改めてふと感じたりもするのです。

人生なんてものは、立場やタイミングによってどんな解釈でも成り立つわけで。

何かがやってきて、何かが過ぎ去る、ただそれだけのことなんじゃないかと。

ルーミーとブッダ

このゲストハウスという詩を詠んだルーミーという人について興味を持ったので、ちょっと調べてみました。

1207年に現在のアフガニスタンに生まれて、1273年没。

日本だと鎌倉時代だったころですね。

父親は神学者、母は知事の娘、祖母は王女(王様の娘)という、なかなかの家に生まれたようです。

厳しい修行によって自我を滅却し、神との融合を図ろうとするスーフィズム(神秘主義哲学)の重要人物の一人とされ、没後、弟子たちによって彼を始祖とするメヴレヴィー教団というものも作られたのだそうです。

お札や切手にもなっているらしい。

トルコ紙幣↓

アフガニスタンの切手↓

名前はジャラール・ウッディーン・ルーミー(トルコ語でMevlânâ Celaleddin-i Rumi)というそうで、ルーミーというのは、彼が主にルーム地方で活動していたから。

それ以外にも、我らの師を意味するマウラーナーやメヴラーナーと呼ばれたり、生誕地のバルフからバルヒーと呼ばれることもあるようです。

こうしてルーミーのことを調べているうちに、ふとあることに気がつきました。

それは仏教の開祖と言われているブッダ(釈迦)と、とても多くの共通点があるということ。

ブッダも「あらゆる所有という概念を捨てなさい」とか「家族や友人からも離れて一人で修行に励みなさい」とか、とてもストイックな考えを持っていたんですよね。

詳しくはこちらに書きました↓

その教えはあまりにも厳しいので、もっと多くの人が実践しやすいようにと、現在日本に普及している大乗仏教などが生まれました。

またルーミーと同じようにブッダも、釈迦や釈尊などさまざまな呼び名で呼ばれています。

それぞれどういう意味があるかは、こちら↓

ちなみに釈迦が語ったとされる言葉で、現存する最古の文献はスッタニパータというものです。

今の世の中に押しつぶされそうだ…と感じる方はスッと心が軽くなると思うので、興味があればぜひ読んでみてください。

詳しくはこちらに書きました↓

今回ご紹介した詩人のルーミーとブッダに、とても似通った点があることが分かり、筆者がなぜこのゲストハウスという詩に惹かれ、今でもたまに読み返したくなるのか、その理由が分かったような気がしました。

どなたかのお役に立てばうれしいです。

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ルーミーの「ゲストハウス」という詩を時々思い出して勇気をもらうのです まとめ

以上、ルーミーの「ゲストハウス」という詩を時々思い出して勇気をもらうのですというテーマでお伝えしました。

この記事の内容は、動画でもお話ししてるのでぜひご覧ください↓

筆者の旅の様子は、下のリンクからご覧いただけます。

旅ブログはこちら↓

キラーケン 修行の旅ブログ
キラーケンが修行のような旅の様子を綴る旅日記ブログです。所有物はスーツケース1つ。観光地にはほとんど行かず泊まるのは主に激安ゲストハウス。現地の移動手段は徒歩か自転車。地元の市場で謎の食材を買って自炊。修行のような旅がしたいという方必見です

YouTubeはこちら↓

キラーケン 修行の旅
所有物をスーツケース1つだけにしました。 本職はヨガ講師。 年々おかしさが増していくこの日本で生きていくのがちょっとしんどく(バカらしく)なってしまい、長年暮らした東京の自宅を引き払い、海外放浪の旅を始めたのが2020年3月。 最初の訪問先...

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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