多様性の本当の意味が知りたい
70億人いたら70億通りの生き方があっていいって、どういうこと?
そんな疑問にお答えしましょう。
筆者はヨガ講師をしていまして、生徒さんから悩み相談を受けることも多いのです。
その中で「男だからこう生きなきゃいけない」とか「もう歳だからこれはできない」といった悩みが、とても多いように感じます。
実際に筆者も、以前はそんな悩みを抱えていました。
そこで今回は、多様性の本当の意味。70億人いたら70億の生き方があっていいよねと題して、筆者の体験と考えを詳しくお伝えできればと思います。
多様性の本当の意味。70億人いたら70億の生き方があっていいよね
多様性という言葉、けっこう前からよく耳にしませんか?
多様性とは、
ある集団の中に異なる特徴•特性を持つ人がともに存在する
Wikipedia 多様性
のような定義があるみたいです。
そうした解釈自体には、筆者はとても共感します。
ですが、政治や経済などの中で語られる「多様性」という言葉には、筆者はなんか違和感を感じるんですよね。
多様性といいながら、人々を逆にどこか一つの方向に向かわせているような気がして。
本当の多様性って?
では、筆者が思う多様性の本当の意味とはどういうことかというと、
解釈なんて人それぞれなんだから、70億人いたら70億通りの人生があっていいよね
ということです。
そして、
絶対的にいい人生なんてない
ということでもあります。
これとこれに該当したら、それは悪い人生なんて、決めようがないですよね。
いい悪いの解釈も、人生の定義も、人によって違うからです。
だけど、いま言われている多様性って「多様性はいいものだ」「多様性を認めないのは悪だ」みたいな、それって多様性とはまったく逆じゃないか、と感じちゃうんですよね。
コップの水と、財布の1,000円
多様性の本当の意味について、いくつか例を用いて説明してみましょう。
ここに、水が半分入ったグラスがありますという話しを聞いたことがありますか?
この状況を、半分も入ってる!と解釈するのか、半分しか入ってない…と捉えるのか?
ものごとが、よいか悪いか、ポジティブかネガティブかは、人それぞれの解釈でいくらでも変わります。
あるいは、財布の中に1,000円札が一枚入っているとしましょう。
この状況に対し、「くっそー、1,000円しかないぜ…なんにも出来ないじゃないか…」と思う人もいれば、「わあ、1,000円もあるのか!あれもこれも買えてラッキー!」と考える人もいるかもしれません。
1,000円の価値や意味も、解釈は人や状況によってさまざまです。
本当に多様性を認めるならば「どっちでもいいじゃん」が、本当の意味のように思えるんですよね。
だけど、今言われている多様性って、「水や1000円があることは素晴らしい。その中でさまざまな使い道を考えましょう」みたいな、すごく限られた中での多様性にも聴こえるんですよね。
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プロレスは解釈である
多様性の本当の意味を考えるために、ここでちょっとプロレスの話しをさせてください。
筆者はプロレスというものに、とても興味と関心を持っているのですが、観る人がそれぞれの解釈で遊べるというのがその理由です。
どういうことかというと、プロレスは「闘う」ということを題材に扱っています。
誰と誰が闘うと、そこには必然的に勝敗が生まれます。
勝敗というのはプロレスを構成する大きな要素のひとつではあるんだけど、勝ち負けそのものには実はあまり意味がないと筆者は考えています。
試合に勝っても負けても、そのシチュエーションにおいて、どんな発言や次のアクションを取れるかが、プロレスラーの力量として現れます。
同じように観客側にも、試合の展開や勝敗をどう解釈するのかが問われます。
こうした見方も、本当の意味での多様性に思えるのです。
ですが、最近耳にする多様性は「かわいそうだから、負けた方も認めてあげなきゃだめだよ」みたいな、勝った側からの多様性の押し付けのようにも感じてしまうんですよね。
ちなみに筆者のプロレス論は、こちらに詳しく書かせていただきました↓
誰かの人生を生きるな
多様性の本当の意味、という話に戻ります。
筆者のこれまでの人生を振り返ると、
・男なんだからこうじゃなきゃいけない
・社会人であればこれはしておくべき
・いい年をしてそんなことするんじゃない
というような、誰かが決めた「こうあるべき」という定義やルールに、長い間がんじがらめにされていたなと思います。
もちろん今もあります。
筆者の30代は、生きている実感を全く感じられなかった長く苦しい時代でもありました。
詳しくはこちら↓
そこから出よう!もう自分の思うように生きよう!
と思って仕事を辞めた時も、解放感と同じくらい恐怖感が襲ってきました。
その時のことはこちら↓
40歳間近なのに仕事をしていない
やりたいこともよくわからない
そんな状況が、恥ずかしくて、かっこ悪くて仕方がありませんでした。
ヤバい!社会のレールからはみ出しちゃった…
おれは価値のない人間なんだな…
本気でそう思っていたし、ものすごい不安と焦りを感じてもいました。
ですがこうした絶望感って、誰かが作った「正しい生き方」みたいなものを基準にしてただけなんだなあと、今になると思うのです。
自分を信じればいい
生き方なんて人それぞれでいいんです。
どんな生き方をするのかも、一人一人違って当たり前。
それが本当の意味での多様性じゃないですかね。
今なら当然のようにそう思えるのですが、当時はそんなふうには考えられませんでした。
強い不安感にさいなまれながらも、何とかしたい一心で、オレはこれがやりたいのかな?と思うことを一つ一つやり続けていきました。
その時の方法はこちら↓
すると、ちょっとずつ謎が解けてきたんです。
誰かが決めた人生を、自分のものだと勘違いして生きてきてたんだな、と。
勝ち組・負け組という言葉がありますが、何を持ってして勝ち組、負け組なんでしょうか?
そんなもの、誰かが決められることじゃないですよね。
あるいは、仕事とプライベートの境界って、一体どこにあるんでしょうか?
家に帰って布団でぐっすり眠ることが、仕事と無関係なはずないですよね。
また、男と女という区別も、抽象度をひとつ上げればどちらも人間です。
男はこうあるべき、女はこうでなければ、なんて一概には言えません。
世の中が定義した多数決的な幸せ
誰かが決めた理想的な人生
Realy?
自分はどうしたいのか?
本当はどうなりたいのか?
自分自身に自信を持って生きないと、人生は他人に振り回されて終わってしまいます。
つまり本当の意味での多様性って、社会が、誰かがこれが多様性だって決めるんじゃなくて、自分自身の中に「いろんな自分がいていい」と認めることのようにも思うんです。
ちなみに、LGBT法というおかしな法律が成立してしまいましたが、これも誰かが作った「歪んだ多様性」のように感じています。
詳しくはこちら↓
あと、民主主義と社会主義のような対立概念も、結局は誰かが作った仕組みな気がします。
詳しくはこちら↓
多様性は自分の中にある
ここまで、多様性の本当の意味についてお話ししてきましたが、ものごとというのは本来は、全てニュートラルなものであるはず。
空から降る雨は、空から降る雨でしかない。
それを、ああ、雨かあ…と思うのも、やったー!!と大喜びするのも、人それぞれ解釈は違っていい。
そのもの自体に、いいか悪いかなんて本来はありません。
ものの価値や意味なんて、その人それぞれの解釈が生み出しているに過ぎないんですよね。
他人や、まわりの状況や、時代の流れ、そういったものは自分ではコントロールできません。
しようとすると苦しいです。
ということは、逆に自分のことなら自分で選択ができる。
自分がどう行動するかは、自分自身で選べるわけです。
そして、その結果どんなことが起ころうが、その解釈も人それぞれ。
そう考えると人生は、無限の可能性と自由度に溢れていると、感じることができたのです。
これこそが、本当の意味での「自分自身の多様性を認める」ということじゃないかなと思ったのですが、みなさんはどうお考えになるでしょうか?
多様性の本当の意味。70億人いたら70億の生き方があっていいよね まとめ
以上、多様性の本当の意味。70億人いたら70億の生き方があっていいよねというお話しでした。
人目を気にして誰かの人生を生きるのは、もうやめてもいいですよ。
そのための方法はこちら↓
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。