ブッダ(仏陀)が言ったとされる「犀の角のようにただ独り歩め」の意味が知りたい
なぜ、犀の角なの?
そんな疑問にお答えします。
筆者は2000年ごろから独学で瞑想を、2011年には本格的にヨガの修行をはじめ、現在はヨガ講師として活動しています。
ヨガの哲学と同時に、ブッダの考え方もいいなと思いできる限り実践も試みています。
例えば、できるだけ所有物を手放してみようと思い、持ち物をスーツケース1つにしてみました。
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数あるブッダの言葉の中でも、犀の角のようにただ独り歩めという表現に筆者はなぜか強く惹かれ、どういう意味なのか常々思いを馳せています。
そこで今回は、ブッダはなぜ「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」と言ったのか?と題して、詳しく考察してみたいと思います。
ブッダはなぜ「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」と言ったのか?
「犀の角のようにただ独り歩め」というのは、あらゆるものに惑わされることなく、独り修行に励み、悟りに至れというような意味である、と言われています。
ではなぜブッダは、他にもさまざまな例えがある中で「犀の角」を比喩として用いたのでしょうか?
あくまでも、筆者の解釈でしかありませんが、
①堂々と、自信を持って生きよ
②周りからどう思われようと、気にするな
③急ぐな
といったような意味が、込められているのではないかと推測します。
順番に、詳しく説明いたします。
①堂々と、自信を持って生きよ
ブッダが言った「犀の角のようにただ独り歩め」の1つ目の解釈は、堂々と、自信を持って生きよという意味がありそうです。
犀の角はご覧の通り、顔の真ん中に、太くて力強くしっかりと生えていますよね。
なので、弱く細々と、道の端っこを…ではなく、道をど真ん中から切り開くように、堂々と歩いてゆけといった意味を、ブッダは「犀の角」の比喩に込めたのではないでしょうか。
また、この犀のように、一本の角を持った「一角獣」は、東洋、西洋を問わず、大昔から、神格化されてきたという歴史もあるようです。
古代インドでも、ブッダが生まれる遥か以前、インダス文明のころの印章に「一角獣」の姿が描かれているそう。
これらの解釈は、インド哲学者の中村元(はじめ)さん訳・著の、ブッダのことば スッタニパータの中で、詳しく解説されていますので、ぜひ読んでみてください↓
②周りからどう思われようと、気にするな
ブッダの「犀の角のようにただ独り歩め」の意味の2つ目は、周りからどう思われようと、気にするなという解釈もできるかと思います。
犀の姿を、まじまじと見てみると、なかなか独特な容姿をしていますよね。
なぜこんな身体をしているんだろうと、不思議に思えてなりません。
だけどそれって、人間という基準から見て、変わってると思うだけで、犀自身は、これが当たり前と感じていると思うんです。
だからぼくら人間も、周りからなんて思われようが、どう見られようが、それはその人がそう思っているだけであって何も気にすることはないわけです。
そうした意味を、ブッダは「犀の角」に込めたんじゃないでしょうか。
③急ぐな
ブッダが語ったとされる「犀の角のようにただ独り歩め」には、急ぐなという意味もあるんじゃないかと思っています。
犀の歩く姿は、のっしのっしととても堂々としています。
慌てたり、先を急いでいる感じは受けません。
人生も同じで、早く結果を出さなきゃと焦る必要はないし、時間を気にせず、淡々と修行に専念せよという意味を、ブッダは「犀の角」に例えたように感じます。
しかしながら、犀は、実はかなりの猛スピードで動くこともできるのをご存知でしょうか?
ほんと?と思われる方は、ぜひこちらをご覧ください↓
つまり、普段は穏やかであっても、いざとなれば、なりふり構うな
あるいは、本当の自分の実力は、見せびらかすものではない
といった意味も、ブッダは「犀の角」という比喩で、示唆したのではないかと思うのです。
ブッダはなぜ「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」と言ったのか? まとめ
以上、ブッダはなぜ「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」と言ったのか?というテーマで解説をしました。
あくまで個人的な解釈に過ぎませんが、何かしらお役に立てば、幸いです。
ブッダが他にどんな言葉を語ったかは、こちらに詳しくまとめました↓
これは自分のものであると思うから悩むんだ、ともブッダは言っています。
詳しくはこちらに書きました↓
ブッダとか釈迦とか釈尊とか、違いがよく分からない…という方は、こちらが参考になれば↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。