いい人そうに見える、と言われたことありませんか?
「いい人そう」とよく言われるので「いい人」と何が違うか考えてみた
筆者は「いい人そうに見える」とよく言われます。
いい人でも、いい人そうでもなく、いい人に見えるでもなく「いい人そうに見える」らしいのです。
いい人と、いい人そうと、いい人そうに見えるの違い
いい人と、いい人そうと、いい人そうに見える。
実はこの3つの言葉の間には、微妙なニュアンスの違いがあると思うんです。
いや、微妙どころか明らかに違う。
そして筆者はこれまで、違いがあることにすら気づいていませんでした。
「いい人そうに見える? ありがとう!」くらいに、むしろよろこんでいたのです。
だけど最近ふと思ったのです。
一見いい人そうに見えるけど、本当はどうなのよ?
そんなニュアンスが、あるよなあと。
言った人は、そこまで深くは考えてないのかもしれないけど、筆者の中ではこの「いい人そうに見える」という表現にこそ、自分の核心があるよなあと感じたのです。
ブラックな自分
「いい人そうに見える」というキーワードは、筆者がこれまでの人生で直面してきた課題や挫折の、根底にもあったように感じます。
例えばこんな感じ↓
人目に触れるところはキレイにしておこう
だって見た目、大事だしね。見えないところはどうでもいいよね。
中身や本質の部分は、大体でいいよね
だって誰もそこまで見てないし、見た目よかったらいいじゃん。
いい人っていうのは、中身もいい人なんだろうけど、いい人そうに見えるというのは、表面的にいい人に見えればいいだろう、みたいなことなんじゃないだろうか?
いい人そうに見えてればいいじゃん
本当の自分に向き合うのって、面倒だし怖いしね。
うわー、自分のイヤな部分だ…
でも人生を振り返ると、ずっとこんな感じで見た目だけ気にして生きてきたかもしないなあ。
筆者はここにきてようやくいい人そうに見えることの意味に気づいたわけですが、さてどうしたものか?
気づいたからには、見てみぬふりをするのもなんだか気持ち悪いわけです。
だけどやっぱり、自分をさらけ出すのはすごく怖いし、そこから逃げずに向き合うのはもっとめんどくさい。
いい人そうに見えるまま、なんとなく表面的に「いい感じ」を装っていれば、その場はなんとかなるじゃないか。
気づかないふりして、だましだまし生きてた方が楽じゃない?
ちなみに、いい人に見られたいからついつい嘘をついちゃったことありませんか?
筆者はしょっちゅうでした。
もう嘘をつくのはやめようと決めた理由とその方法は、こちらに詳しく書きました↓
いい人そうのままでいいのか?
だけど、本当にそれでいいのかね?
それじゃあ、まったく何も変わらないもんね。
ではどうしたらいいのか? ちょっと真面目に考えてみましょう。
ものごとを突然大きく、ガラッと変えるのは、負荷が大きすぎると思うんですよね。
それは筆者がこれまで、ヨガの修行を通じて骨身に染みて学んできたこと。
ヨガの練習で言えば、昨日までできなかったポーズを今日いきなり頑張ったりすれば、怪我して痛い思いをするのがオチです。
だからちょっとずつ、少しずつでいい。
これまで表面ばかり気にかけて生きてきたんだから、もっと奥の方にグイッと手を突っ込んで、一個一個本当の気持ちを取り出して、丁寧に眺めていこかうと。
たぶん最初は、恥ずかしかったり気持ち悪かったり、悲しかったりすると思うんですよね。
だからこそ、今まで見ないようにしていたんだろうし。
それに、本当の自分の想いと向き合えるようになると、いい人とかいい人そうとか、そんなこともうどうだってよくなるとも思うんですよね。
ということで、そのくらいの境地に至るまで淡々と修行を続けていくことにした、という結論で、このブログをしめさせていただきたいと思います。
「いい人そう」とよく言われるので「いい人」と何が違うか考えてみた まとめ
以上、「いい人そう」とよく言われるので「いい人」と何が違うか考えてみたというテーマでお伝えしました。
人からどう見られるかばかり気にしてる…という方は、こちらがお役に立てば↓
人との距離感がよく分からない…という場合は、こちらが参考になれば↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。