プロレスの勝ち負けは◯◯の比喩。勝敗の意味と世の中の仕組み

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メキシコの覆面、ルチャ・リブレ、マスク 考え方
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この記事を書いた人

瞑想・ヨガ講師|会社員時代にうつ経験(30歳〜約10年間)|その後ヨガ・呼吸・瞑想指導歴10年15,000人以上(E-RYT500 YACEP)|YogaJaya Baseworks講師|身体とメンタルの調整法・執着の手放し方・食生活・人間関係など、人生で本当に必要なことを発信|スーツケース1つで生活してます|修行中

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プロレスの勝ち負けについて知りたい
プロレスの勝敗って意味があるの?

そんな疑問にお答えしましょう。

筆者は小学校5年生の時にプロレスに魅了されるようになり、以降、思考のベースには常にプロレスがあります。

だいたいのものごとは、頭の中でプロレスに変換され、プロレスを比喩として物事を考えるとすごく腑に落ちるんです。

プロレスのプロレスたる所以は、勝ち負けの意味や勝敗の仕組みにあると考えています。

プロレスって勝ち負けを争うものなのに、なんでロープに振ったり、マスクを被ったりしてるんだと、不思議に思う方も多いことでしょう。

そこで今回は、プロレスの勝ち負けは◯◯の比喩。勝敗の意味と世の中の仕組みと題して、筆者の考察を詳しく語らせていただこうと思います。

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プロレスの勝ち負けは◯◯の比喩。勝敗の意味と世の中の仕組み

ここのところ、自分のプロフィールを書いたり、これまでの人生を振り返る機会が何度かありました。

その度に、プロレスという単語がチラチラ思い浮かぶんです。

そして改めて、プロレスって人生の比喩だよなあと、しみじみと感じているのです。

筆者は小学校5年生の時に、プロレスにのめり込みました。

ちょうど初代タイガーマスクがデビューし、藤波vs長州の名勝負数歌が繰り広げられているころでした。

全日よりも、断然新日派でした。

それ以来、勝ち負けにはらはらしたり、勝敗を競うのになんで覆面とか被ってるんだろう?といった素朴な疑問や矛盾を感じつつ…それでもずっと、プロレスに不思議な魅力を感じ続けてきました。

筆者にとってプロレスとは、人生をはじめ、この世の中を理解する比喩として、とても大切で特別なものなんです。

明確な曖昧さのカタマリ

プロレスが人生の比喩であると考える理由の一つ目は、明確な曖昧さということが挙げられると思っています。

プロレスって、とても曖昧な存在だと感じませんか?

試合では必ず勝敗を争うけど、勝ち負けがものすごく重要かというとそうでもない。

純粋なスポーツでも格闘技でもないし、完全なショーやエンターテインメンビジネスとも言い切れない。

かと思えば、格闘技にも分類されることもあるし、芝居や芸術だとも言えなくもない。

言い換えれば、社会の中で確固たる立ち位置がないように思うんです。

いわゆるアウトキャスト(社会からののけ者)。

だけど、その曖昧さや危うさこそがプロレスのプロレスたる所以だとも思うんですよね。

何にも属していなからこその自由度があったり、解釈の幅があるわけです。

プロレスが社会的に確固たる立場を持っちゃったら、まったく面白くない。

それがまさに、プロレスが人生の比喩だと思う理由です。

勝ち負けで評価が決まる人生なんて…
誰かが作った枠に当てはまる人生なんて…

面白くないし、しんどいですよね?

この社会とは何なのか?
人生これでいいのだろうか?

プロレスは、常にそんな問いかけをし続けているようにも感じるんです。

生き方に正解なんてないということが、プロレスを比喩とすることで、すごく理解しやすいと思うんですよね。

ぼくらが自由に解釈できる余地や、未来の可能性の土壌を、曖昧さという形で、プロレスはしっかりと持ち続けてくれているなあって感じるんです。

ありがとうプロレス。

勝ち負けや勝敗はほとんど重要ではない

プロレスが人生の比喩であると考える2つ目の理由は、勝ち負けや勝敗なんてあまり意味がないということです。

プロレスとは闘いであるとよく言われと思うんですけど、これには半分賛成で、半分反対です。

なぜかというと、プロレスにおいて勝ち負けっていうのは、ストーリー上は大切な要素だけど、本質的にはあまり重要ではないと筆者は考えているからです。

プロレスの試合には当然勝敗があります。

誰かと誰かが闘って、その結果が勝ち負けですよね。

勝敗は重要ではないとはいえ、役割はあるんです。

このタイミングでこの2人が闘うならば、こっちが勝つ方が盛り上がるよな、とか。

これまでのストーリーを考えると、こいつがここで負けることで、この後の流れがさらにドラマチックに広がるよな、とか。

勝敗を軸に未来が描けるし、いろいろ語れる。

だけど、勝ち=いい、負け=ダメでは決してないということです。

状況を総合的に判断して、勝ち負けの意味や価値をいかに創造するかに、レスラーの力量や個性がにじみ出る。

予想を遥かに超えた選択肢を見せられると、このレスラーすげえ!って感じます。

そして観客側も、自由にその人なりの解釈をして遊べるんですよね。

人生も同じで、人の数だけ生き方があっていいはず。

それが、プロレスは人生の比喩だと考える、もうひとつの理由です。

創作とリアル

プロレスは人生の比喩と考える理由の3つ目は、プロレスも人生も、創作とリアルの絶妙なバランスによって成り立っているということです。

プロレスは、試合やアングル(試合以外でのストーリ展開)の中に、創作とリアルが混在しているんですよね。

つまり、これは演出上のことなのか?あるいは、本当の生の感情なのか?というような「見ちゃいけないんじゃないか?」というような瞬間が垣間見えることがあるんです。

そんな虚構と現実を、どうコントロールして、配合して、アレンジして、どうやって自分の作品として提示できるかに、レスラーの力量が問われたりもします。

しかもそこに、正しいも間違いもありません。

プロレスとは、虚と実の境界線を楽しむ、自由度の高い世界なのです。

そして人生やこの世の中も、まさにそういったものだと感じませんか?

たとえば、
◯◯歳までに結婚しないといけない…
30代の男は、こうであるべき…

みたいな基準や価値観って、誰かが意図的に作ったものですよね?

将来こうなりたい!
あんなふうな人間になりたい!

っていう夢や願望ですら、本当の自分の想いではなくて、テレビや新聞によって影響を受けたものがほとんどなような気がします。

ひとりひとりの人生も、実は虚と実が複雑に絡み合ったものだと考えると、やはり、プロレスは人生の比喩だとしみじみ感じるのです。

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プロレスの勝ち負け論争

以上が、プロレスが人生の比喩であると考える理由でしたが、プロレスと人生においての「勝ち負け」というものについて、もう少し考えてみたいと思います。

実はプロレスは、

いわゆるアマチュアレスリングよりも歴史は古く、19世紀には既にバラエティ番組のストロングマン(High_striker)やレスリングパフォーマンスの前任者がいた

Wikipedia プロレス

のだそうです。

つまりはその発祥からすでに、「観客に見せる」という目的を主に、生まれたのだと考えられます。

また、プロレスは勝敗や強さはあまり需要ではないとは言いながら、プロレスラーの中で誰が一番強いのか?という妄想で遊べてしまうのが、プロレスのまたスゴいところです。

ちなみに余談ですが、筆者の中での最強のプロレスラーは、ジャンボ鶴田です。

私は根っからの新日系なので、この結論は自分でも意外なのですが…。
注:プロレスには、新日本プロレスと全日本プロレスのどちらを支持するのか?という大きなテーマがあります

なので、好きなプロレスラー=ジャンボ鶴田ということではありません。

あ、でも鶴田好きですけどね。

筆者の中にある強さとは?の条件の中に、強そうに見えないというものがあるんです。

そういうのも含めて、鶴田最強だなあって思うんですよね。

ご興味があれば、「鶴田 バックドロップ」とYouTubeで検索してみてください。

彼のバックドロップは、理屈では語れない美しさがあるんです。

と同時に、精密な機能性も合わせ持っている。

鶴田論はまたいずれゆっくりと…笑

話を勝敗に戻すと、人生でも同じで、

勝ち負けにこだわってしまうと、結局勝てない
勝ち負けを手放すと、勝手に勝ちが転がり込んでくる

みたいなことって、ないですかね?

プロレスを人生の比喩として見ていると、共通点がたくさんあることに気づかされます。

スポーツなのかショーなのか?

プロレスと人生の共通点としてもうひとつ挙げられるのが、真剣勝負なのかパフォーマンスなのかみたいなこと。

プロレスは、スポーツか?ショーなのか?ということがよく言われます。

この問いに関して筆者には持論がありまして、

プロレスとは、スポーツかショーかというののさらに上の階層にある

と思っています。

つまり、プロレスはスポーツでもあるしショーでもあるし、それらを含有するものでもある、みたいなことです。

プロレスって、

スポーツ↔︎ショー
武術↔︎芸術
哲学↔︎科学

など、一見対極にあるようなさまざまな分野に、同時に属すことができるなあと常々感じていました。

だからこそ、中途半端な、あいまいなジャンルだと言われ続けていたようにも思います。

でもこれ、視点を変えたらすごく腑に落ちたんです。

プロレスとは、それらの領域を全部を包み込むような、大きな存在だったんだと。

全てはつながりひとつである、というヨガや仏教の思想と同じではないですか!

この世界には、さまざまな人間がいます。

強い人、弱い人、優しい人、怒りっぽい人、真面目、よくしゃべる、寡黙、など。

職業や社会的立場なども、サラリーマン、軍人、柔道家、警察官、教師、金持ち、職人、などさまざまです。

人間とはこうでなければならない
男とはこうあらねばならない
大人とはこうあるべき

それってホントなんですかね?

プロレスって、そのどこかに属すものではなくて、もっと大きな「人間」みたいな存在のように感じるんですよね。

だからプロレスの中には、いろんな生き方をする人たちがいていいし、それこそがプロレスだと思うのです。

やはり、プロレスとは人生の比喩である

そしてやはり、プロレスとは人生の比喩そのものだと思うのです。

人はみな、この世に生まれ落ちた時に、環境や役割、関係性や身体性が与えられます。

家族、兄弟、性別、生まれた場所、環境

それらは自分では選べません。

そうした前提条件の中で、自分の足で立ち、自分の行きたい方向を見つけ、歩き、走り、時に転び、自己実現をしていくのが人生ですよね。

与えられた条件をどう受け止めるのか?

どう解釈するのか?

それをどう駆使し、自分らしい世界をどう描いていくのか?

プロレスも人生も、同じだと思いませんか?

プロレスとは人生の比喩だし、人生そのものであると筆者は改めて思うのです。

みなさんはどうお考えになるでしょうか?

プロレスの勝ち負けは◯◯の比喩。勝敗の意味と世の中の仕組み まとめ

以上、プロレスの勝ち負けは◯◯の比喩。勝敗の意味と世の中の仕組みというお話でした。

プロレスは、政治の比喩でもあると思っています。

詳しくはこちらをどうぞ↓

多様性という言葉をよく耳にすると思おうんですけど、これもプロレスで例えると分かりやすいと思っています。詳しくはこちら↓

今のおかしな世の中を、プロレスを比喩にして考察してみました(動画)↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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