民主主義と社会主義はなぜ対立?仲間同士の役割分担にすぎない

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考え方
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この記事を書いた人

瞑想・ヨガ講師|会社員時代にうつ経験(30歳〜約10年間)|その後ヨガ・呼吸・瞑想指導歴10年15,000人以上(E-RYT500 YACEP)|YogaJaya Baseworks講師|身体とメンタルの調整法・執着の手放し方・食生活・人間関係など、人生で本当に必要なことを発信|スーツケース1つで生活してます|修行中

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民主主義も社会主義も、実は一緒ってどういうこと?
民主主義と社会主義って、本当に対立してるの?

そんな疑問にお答えしましょう。

筆者は子供の頃から「民主主義は平等で、社会主義は怖い」みたいなイメージを教えられてきたように思うんですが、ここ最近、本当にそうなのかな?と感じています。

というか、民主主義も社会主義も、結局は同じ人たちが作ったものなんじゃないかとも、思い始めています。

そこで今回は、民主主義と社会主義はなぜ対立?仲間同士の役割分担にすぎないと題して、どういうことか、詳しく考えてみたいと思います。

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民主主義と社会主義はなぜ対立?仲間同士の役割分担にすぎない

民主主義とはWikipediaによると、

組織の重要な意思決定を、その組織の構成員が最終決定権を持つという制度・政治思想

Wikipedia 民主主義

とされています。

一方、社会主義は、

個人主義・資本主義・市場経済の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想・運動

Wikipedia 社会主義

とのこと。

こうした相反するような民主主義と社会主義が、実は対立を演じる役割分担にすぎないというのはどういうことかというと、プロレスに例えると分かりやすいと思います。

プロレスの興行では、悪役と善玉が闘ったり、軍団抗争が行われたりしますよね。

だけど、対立している選手や軍団は、みんな同じプロレス団体と契約してその試合に出場させてもらえているわけです。

つまりは、みんな同僚だし仕事仲間。

民主主義と社会主義も、それとまったく同じなんじゃないかと思うんです。

興行を盛り上げるためには、対立や争いが欠かせないですし、それを口実に、お金儲けをしているというわけです。

興行主は誰だ?

では、民主主義と社会主義を対立させて、誰が儲かるのか?

最近ではDS(ディープステート)という言葉をよく目や耳にします。

あるいは国際金融資本とか、ちょっと前だと軍産複合体とか、いろいろな言われ方をされていますが、表には出ないけど、実は裏側で世界をコントロールしている人たちと言えばいいでしょうか。

筆者は、通貨発行権を手にした人たちと呼ぶのが一番しっくりくるかなと思っています。

彼らはどうやって儲けているかというと、両建てという手法をよく用いているようです。

その一つが民主主義と社会主義、あるいは資本主義と共産主義のような思想の対立。

何でそんなことをするのかというと、戦争を例に挙げてみましょう。

ある国とある国に、争いの種を作って緊張を生むとしましょう。

すると、お互いがお互いを威嚇したり防衛したりしなきゃいけないので、両方の国に武器を売ることができるわけです。

どちらか一方に売るより、倍の儲けですよね。

なので「ミサイルが飛んでくるぞー。戦争が始まるぞー」と言っている時が、一番儲かるとも言われています。

実際に戦争が始まって、どっちが勝っても負けてもあまり関係ないともいいます。

すでに彼らは十分に儲けているので、また新しい争いの種を作って、儲けの市場を広げていけばいいからです。

こうした火種として、民主主義と社会主義のような対立は、とても便利な口実になるわけですね。

みんなグルじゃないか

民主主義と社会主義のような、大きな対立でなくても、もっと小さなところでも同じ仕組みが使われています。

日本の、与党と野党というが分かりやすいですよね。

一党独裁だと、批判が集中しやすいです。

そして、争いの種、つまり儲けの口実も作りにくいわけです。

だから、与党と野党、左と右、ハト派とタカ派のような対立構造を仲間同士で演じて、常に儲けの種を撒き続けている。

対立を養分にして咲いた花はさぞかし美しく、実った果実は格別の美味しさであることでしょう。

世界は本当にひとつなのか?

そもそもなぜ、民主主義と社会主義に代表されるような対立構造が生まれ得るのか?

それは、世界はひとつで、その中に我々人類が暮らしている、という考え方が前提にあるからじゃないかと考えられないでしょうか。

引き出しの中に、いろんなものが無秩序に入っていると使いづらいから、仕切りを作って整理しようみたいな発想。

でも、我々人間は文房具ではないんだから、誰かの都合で整理されるのは、ちょっとイヤじゃないですか?

古代のインドには、それとは真逆の考え方があるんです。

それを、梵我一如と言います。

梵(大きな宇宙)と我(小さな宇宙)は一緒、つまり一人一人がひとつひとつ世界である、という考え方です。

その一個一個の小さな世界が集まって、遠くからその塊を見ると、それもまた大きな世界でもあるよね、という世界観です。

筆者は、こちらの考え方の方がしっくりくるんです。

これまで、民主主義と社会主義のような対立の中で生きるのが、当たり前だと思っていたけど、実は誰かにそう思わされていただけじゃないかと、ここ最近特に思います。

そして、すでにそういった世の中に移りつつあるようにも感じているんですが、みなさんはどうお感じでしょうか?

ちなみに、民主主義は「自由でも平等な制度」というイメージがありませんか?

筆者はずっとそう思っていました。

でもそれって本当かね?というお話しをこちらに詳しく書きました↓

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民主主義と社会主義はなぜ対立?仲間同士の役割分担にすぎない まとめ

以上、民主主義と社会主義はなぜ対立?仲間同士の役割分担にすぎないというテーマで解説しました。

LGBTというのも、実はお金儲けの口実だと筆者は考えています。

詳しくはこちら↓

戦争は、自然発生的にしかたなく起こるのではなく、お金儲けのために意図的に引き起こされるというお話しは、こちら↓

民主主義に感じる違和感については、動画でもお話ししたので、ぜひこちらご覧ください↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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