常識を疑えってよく聞くけど、どんな意味があるの?
常識を疑うとはどういうことか、具体例が知りたい
そんな疑問にお答えしましょう。
筆者は今でこそ、常識に縛られずに生きている自負がありますが、かつては誰かが敷いたレールの上を疑いもなく歩き続けていました。
そこで今回は、常識を疑うことの意味。具体例を挙げて詳しく解説と題して、筆者の体験を詳しくご紹介できればと思います。
常識を疑うことの意味。具体例を挙げて詳しく解説
常識を疑うことが大切さと、ここ最近よく耳にしませんか?
でも常識を疑うってどういう意味?
何をどう疑えばいいの?
という疑問も多いかと思います。
かつては筆者もそうでした。
そこで、具体例を挙げて「常識を疑う」とはどいったことなのか考えてみましょう。
コロナ禍を疑え
常識を疑う意味の1つ目の例は、コロナ禍です。
テレビや新聞、政府や医療機関がしきりに「恐ろしい病気だ」と言っていましたが、それって本当なんだろうか?と疑問を持つことが、常識を疑うということです。
そして自分で調べてみましょう。
筆者は自分で調べてみました。
すると以下のような、さまざまな疑問点や不可解な点が湧き上がりました。
・「PCR検査は感染源の特定には使えない」と開発者(キャリー・マリス博士)が言っていた
・その開発者は、コロナ流行直前の2019年秋に突然死去している
・PCR陽性者=感染者ではないのに、テレビや新聞は感染者として報道している
・ウイルスの大きさ=1だとしたら、不織布マスクの網の目=50。ウイルスは筒抜け
・ファイザー社のCEOは、ワクチンを打っていない
・接種後に何が起きても製薬会社は責任を負わないという契約を、各国が結ばされているらしい
などなど、挙げたらキリがないほど疑問点だらけでした。
こうしてコロナ禍という常識を疑って、自分で調べて考えた結果「コロナ禍とは意図的に作られたものである」という結論に至り、ワクチンも1度も打っていません。
お金を疑え
常識を疑う意味の2つ目の例は、お金です。
お金とはそもそも、人の交流や物の交易の一手段に過ぎなかったはずです。
それがいつの間にか、お金自体が不自然な価値を持つようになってしまいました。
お金は社会の血液だとよく例えられますが、お金は血液とは違い、際限なく増やし続けることができます。
体内の血液が10倍、100倍に増えてしまうことを想像してみてください。
それでは生命維持はできませんよね。
このようによくよく常識を疑ってみると、今のお金の仕組みはとても不自然であることに気づきます。
今の世の中は、お金を稼ぐために働くことが、すなわち生きることになってしまってはいないでしょうか?
人間は本来、ただ生きればいいはずなのに、お金というものがあることで、それが難しくなっているように感じます。
社会のルールを疑え
常識を疑う意味の3つ目の例は、社会のルールです。
12時のチャイムが鳴ったら一斉にランチ
土日は誰もが、観光地やショッピングモールへ出掛けて、行きも帰りも渋滞
いい学校を出ていい会社に就職
仕事中はスーツと制服
25歳までに結婚、30までに子供
夢はあこがれのマイホーム
などなど、これらの常識も大いに疑う必要があるでしょう。
なぜならこれらのルールは、常識でも何でもなく、誰かが決めたことでしかないからです。
これらはそもそも、ルールですらありません。
コロナ禍のマスクや注射と同じで、義務でも強制でもないのに「しないといけないんじゃないか…」と多くの人が思わされているだけです。
人間には、みんなと同じじゃないと不安になってしまう心理があります。
世の中を動かしたい人たちは、そうした感情を巧みに利用して、大衆を操る術に長けています。
ここ3、4年のコロナ禍で、多くの人がそのことに気がついたはずです。
大勢の人たちがやってるからといって、あなたもそうしなければならないなんていう決まりはありません。
自分の身を守るためにも、常識は疑うべきだと考えます。
常識を疑うにはどうすればいいのか?
ここまで、常識を疑うことの意味について具体例を挙げて説明してきました。
とはいえ、
常識を疑うのがむずかしい…
どうすれば常識を疑えるのか、よく分からない…
そんな場合もあるでしょう。
その気持ちはとてもよく分かります。
筆者自身、何十年も前から「世の中が何かおかしいな?」と感じてはいたものの、常識を疑うことはなかなか出来ずにいました。
アインシュタインは、
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない
常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。|宇治市立小・中学校
とも語っています。
そのくらい、子供の頃に刷り込まれたものの見方を変えるのは、なかなか難しいということなのでしょう。
最も簡単な「常識を疑う」方法
では筆者はどうやって、常識を疑うクセがつけられたのかというと、まずは「全部疑う」ということをしました。
1つ1つのことがらを、これは本当なのか嘘なのか?と疑っていたら、キリがないからです。
その仮説と検証だけで、人生が終わってしまいますよね。
なので、今のこの世の中で当たり前とされていることは、まずはすべて「そうじゃないんだろうな」という前提で疑ってみたのです。
例えばテレビで報じられる情報を、これはどうなんだろう?あれは果たして…と一つ一つ疑っていても、永遠に答えはでません。
なので根本的に「テレビは一切見ない」と決めたら、あれこれ悩む必要はなくなりました。
政治に関しても同じです。
自民党のこの人は信用できない、あの人なら大丈夫そうだ、〇〇党なら期待できる…とあれこれ思案していても、それこそ時間の無駄です。
日本の政府は、さらにその上にオーナーがいて、そこからの命令によって動いているだけに過ぎないことは、少し調べれば容易に分かります。
なので、政府や政治という仕組み自体を信じないと決めてしまえば、いちいち疑う必要はなくなります。
もちろん、世の中のすべてが嘘だというつもりはありません。
ですが、1つ1つ確かめている時間も気力も、もったいないと思いませんか?
本当に自分がやりたいことにエネルギーを注いだ方が、どれだけ有意義な人生が送れることでしょう。
とにかく、目の前に出されたものをパクッと鵜呑みにしないことです。
常識を疑うことは、自分自身の人生を、自分の意志で生きていくためにとても重要だというお話でした。
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常識を疑うってどういう意味?具体例を挙げて詳しく解説 まとめ
以上、常識を疑うってどういう意味?具体例を挙げて詳しく解説というテーマでお伝えしました。
常識を疑うことの手始めは、学校で教わったことに疑問を持つことかもしれません。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。