悩みは解決しなくていいって、どういうこと?
悩みがあるから解決しようとするけど、うまくいかずにまた悩む…
そんな疑問や悩みにお応えしましょう。
悩みは解決しなくていい「そもそも悩みなんてない」という釈迦の教え
あなたは今、悩みがあるでしょうか?
そして、悩みなんて解決しなくていいと言われたら、どう思いますか?
今日は「悩みは解決しなくてもいい。なぜなら、そもそも悩みなんてないからだ」というお話をしてみたいと思います。
何かがあると思っているから悩む
悩みは解決しなくていいということについて、現存する原始仏典の中で最古のもとされる「スッタニパータ」の中の言葉をご紹介したいと思います。
釈迦が、歳をとり、容貌も視力も聴力も衰えたことを悩む人に対して、このように言っているんです。
物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる
妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ
ブッダのことば:スッタニパータ (岩波文庫) 第五 彼岸に至る道の章 十七、学生ピンキヤの質問
そこに何かがあると思っているから、頭や心の中に悩みや迷いが生まれるんだということのようです。
つまり、元々「これが悩みだ」というものは存在していないとも言えるでしょう。
自分が悩みと思っているだけ
スッタニパータの中には、認識作用という言葉も出てきます。
認識作用っていうのはちょっと分かりにくいと思うので、もっと分かりやすく言うと、何かの存在を認める行為や、その結果起こることのようなことかと思います。
より分かりにくいでしょうか?
どういうことかというと、そこに何かがあると思っているから、関係性が生まれたり、自分のものにしたいとか、ずっと持ってたいといった欲求が起き、悩みの種になる。
だから、この世には一切のものが存在しないと考えれば、悩みも迷いも生まれようがないし、そもそも悩みなんて解決しなくていい、と言いうことかと思います。
先にも触れたように釈迦は、関係性や所有といった概念が悩みを生むから、そういった考えは捨てよとも言っています。
だけど、実際の生活の中で、あらゆるものとの関係を断つとか、何も持たないなんていうのは、かなり大変なことですよね。
ですが「ここには実は何もないんだ」となれば、何もないんだから、そこに関係性も、それらを持つという行為すら起こり得ないわけです。
結果、悩みを解決することすらしなくていい、ということになります。
何もないとはどういうことか?
何もないというのは、では一体どういうことなんでしょうか?
いやいや「目の前にいろいろあるじゃないか」と。
今あなたは、この記事を読んでいるし、それはスマホかパソコンのモニターに映し出されていますもんね。
それは、今私たちが見ているもの、触れているものは、単なる脳内の電気信号でしかないということです。
目という感覚器官が刺激を受け取って、神経を通り脳に「こういったものが見えてますよ」という信号を送る。
すると脳は「何mくらい離れたところに、こういった大きさでこういった色と形のものがあるんだな」ということを認識しているに過ぎないということです。
なので、私たちが何かを見て、それがあると思っているものは、実は脳の情報処理の結果でしかないんですよね。
逆にいうと、実際には目の前に何もないのに、脳に電極を刺して電気信号を送れば、そこに物があると認識してしまう可能性もあるわけです。
なので、本当にそこに何かがあるのかないのかというのは、本当かどうか分からないんですよね。
本当にあるかどうか分からないものに悩んでいても、時間がもったいないと思いませんか?
それこそ、そんな悩みはそもそも解決しなくてもいいと言えるかと思います。
それは本当なのか?
世の中のあらゆる情報も、同じことが言えると思います。
それって本当なの?と。
例えばここ数年、世界的に大変な病気が流行ったことになっていましたが、あれなどもその最たる例ではないでしょうか?
恐ろしいウイルスが現れました
昨日の感染者は何人でした
注射を打てば治ります
私たちは、テレビや新聞を通して、それが本当のことだと思っていただけではないでしょうか?
ひとつひとつ手にとって確かめて、自分で調べて、状況を判断していたでしょうか?
なんとなくそう思わされて「怖いな…」とか「マスクをしていよう」とかを決めていたのではないでしょうか?
ただしこうした悩みや不安は、今の世の中だからというわけでもなさそうなんですよね。
釈迦が生きていたのは今から2,500年前と言われています。
そのころから、人々は同じように悩み、釈迦はその人たちに対して「悩みなんて解決しなくていいんだよ」と教え諭していたわけなので。
どうすれば、悩みを解決しなくてよくなるのか
ここまで、そもそも悩みなんてないんだから、解決しなくていいというお話をしてきました。
では、一体どうしたらそれが実際にできるようになるのか?
最も簡単に日常で実践できる方法としては、自分が目や耳にしたものを「これは本当なのかな?」という意識で見ることかと思います。
具体的には、テレビや新聞を見る際に「これは本当はどういうことなのかな?」という視点で情報を目にするといいと思います。
それ以前に、テレビや新聞は今すぐ捨てた方がいいと思いますが。
その理由は、こちらに詳しく書きました↓
あらゆる情報を一旦疑ってみるという姿勢でいると、悩みや迷いというのは、自分が得た情報によって悩まされたり迷わされたりしていることに気がつけると思います。
そして、悩みというものが元々あるわけではないことが分かると、そもそも悩みなんて解決しなくていいということにもなります。
悩みというのは「私は悩むぞ」と、自分で決めているだけなんです。
悩まなきゃいいんです。
と、ここまで書いてきて、もっと分かりやすく文章が書けたらな…と、筆者はすごく悩んでいます。
誰か、悩みを解決しなくてもよくなる方法を知っていたら、ぜひ教えてください。
ちなみに、この記事の中でご紹介したスッタニパータについては、こちらに詳しく書きました↓
Amazonでも購入可能です↓
悩みは解決しなくていい「そもそも悩みなんてない」という釈迦の教え まとめ
以上、悩みは解決しなくていい「そもそも悩みなんてない」という釈迦の教えというテーマで解説をしました。
「所有するから悩むんだ」とも釈迦は言っていたようです。
どういうことか?こちらに詳しく書きました↓
「悩みは完成性から生まれる」とも。詳しくはこちら↓
悩みを解決しなきゃとずっと悩み続け、頭がパンパンになってしまっていませんか?
そんな方はこちらをどうぞ↓
悩みのほとんどは人間関係だと、アドラー心理学では考えるそうです。
詳しくはこちらをどうぞ↓
悩みは解決しなくてもいいというお話は、こちらの動画でもご覧いただけます↓
最後までお読みいただき、ありがとうございました。